尻岸内(しりきしない)の地名由来②~シリキシラリの正体

海中の岩~シラㇽ 地名
海中の岩~シラㇽ
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前回、尻岸内の地名由来を調べていると、尻岸内川の大橋の名前が「女那川橋」という地名がありちょっと疑問をもったので調べてみようということになりました。

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別の川の名前

いつもの通り、困ったときの『角川地名大辞典』の女那川の項を調べてみると、

昭和8年~現在の行政字名。(中略)地名はアイヌ語のエネケシナイに由来し、「水の多い川下」の意(尻岸内町史)(後略)

竹内理三編『角川地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)1503頁

また新しい解釈が出てきて余計困ってしまいました。(苦笑)

エネケシナイという謎の単語が出てきて困惑ですが、「ナイ」はアイヌ語の川の意味を示す語で間違いないと思います。「ケシ」と「ナイ」で端と川という意味で川下という意味に訳されていそうですが、そうなるとエネが全く分かりません。エネに水が多いなんて意味があるのでしょうか。

『津軽一統志』には、

尻岸ない 小船澗有 ヤクモタイン持分
ゑきしない  家三軒 狄乙名アイツライ持分

とあるので古くから「ゑきしない」の地名は存在したようです。尻岸内の隣のようですね。しかもアイヌの酋長は違う人物が治めているようですから、それなりに違う土地と解釈されていたのでしょう。ゆえに尻岸内とは別の地名で記されているのでしょう。念のため、『角川地名大辞典』で「ゑきしない」を調べてみます。するとありました。

(前略)江戸期に見える地名。東蝦夷地箱館六ケ場所の1つ尻岸内場所のうち。イキシナイともいった。渡島地方南東部、尻岸内川河口部の津軽海峡沿岸。現字女那川付近。地名は、アイヌ語のエネケシナイ(水の多い川下の意)に由来する(尻岸内町史)。(後略)

竹内理三編『角川地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)207頁

つまり、『角川地名大辞典』は現在の字女那川付近は「ゑきしない」または「エネキシナイ」「イキシナイ」という地名だったと記しているのです。

内容や出典からして同じ著者でしょうか。引用された『尻岸内町史』をそのまま当たれれば良かったのですが、どうも近くの図書館にも無さそうなので今回は断念します。

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『蝦夷巡覧筆記』等の記述

函館市/函館市地域史料アーカイブ『恵山町史』にある『蝦夷巡覧不筆記』という巡回報告書がありますが、その記述に注目してみます。説明文もそのまま引用します。

『蝦夷巡覧筆記』(別名蝦夷地東西地理)は、寛政9年(1797年)松前藩の高橋壮四郎等が記した松前地と東・西蝦夷地の巡回調査報告書であり、当時の地理・地誌について詳細に記されている。いわゆる前幕領以前の松前藩、藩政時代の交通状況を知る上での貴重な資料なので、この中から、「下海岸一帯」、函館から下海岸を経て南茅部に至る部分を抜粋し記すこととする。なお、記述されている地名について( )内におおよその範囲とし該当する現在の地名を付記する。(中略)

シリキシナヱ(恵山町字豊浦・大澗) <運上屋有リ>

  産物 布苔昆布 水ヨシ、當所ヨリ砂濱行キ イリギシナヱ、川有リ幅四五間 早瀬塩込ノ節歩行渡リナラズ、夫ヨリ岩小崎有リ

大ゴロダ濱 此邊山近ク木アリ 夫ヨリ、

メノコナヱ(恵山町字女那川)

  當所小澤アリ、澤ヨリ平山キシヲ通リ 百間程下リ濱十丁位行キ川有リ幅十二間 夫ヨリ砂濱行キ東風トマリ、當所ヨリ少シ先ニ岩崎アリ、ワシリ海ヨリ切立テ通行ナラズ、野道三百間行ク

(中略)

 シリキシナヱからは砂浜を行く。イリギシナヱ、川幅7,8メートル(尻岸内川)、早瀬、満潮の時は渉ることはできない。迂回し岩の小出崎、ゴロダ浜を行く。この辺り山近く木が茂っている、メノコナヱである。

 メノコナヱから沢を上り平山(段丘)沿いに180メートル下って砂浜に出る。1キロメートルほど行くと幅20メートルもある川(古武井川)を渉り砂浜を行くと東風泊である。この先は岬、海岸の通行はできず立ち木の多い野道(段丘)を600メートルほど行く、子タナヱに着く。

函館市/函館市地域史料アーカイブ『恵山町史』1031 ~ 1033頁

※1間は約1.82mに換算される

ここでも、尻岸内村域の説明でありますが、イリギシナヱはまるで尻岸内とは別に存在するが如きです。しかも記述からイギシリナヱは今の尻岸内川のようです。

また、松浦武四郎の『東西蝦夷山川地理取調圖』ではどのような地名があるかというと、函館方面から順番に、尻キシ内・サエカエウタ・エキシナイ・メノコナイ・ヨリキウタ・クロイワサキ・オタハマ・ヤマセトマリとあります。『蝦夷巡覧筆記』とほぼ同じ形で記されています。

やはり、尻岸内の村があるところと、エキシナイ(尻岸内川)を別個として記述してあります。

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エ・ケㇲ・ナイかシㇽ・ケㇲ・ナイか?

ここまでで、一旦まとめてみましょう。ざっと調べた限りでも、どうも一つの地名にエネケシナイ、ゑきしない、エキシナイ、イリギシナヱなどの表記があるようです。「ゑ」も「イ」も「エ」も道南で訛るとほとんど同じです。「ケシ」「キシ」「ギシ」も清音や濁音の区別のないアイヌ語的には同じと思われますので、ほぼ同じ言葉と解釈することができます。

筆者の語彙力と調査では「エネ」に「水が多い」いう意味のアイヌ語を導きだすことはできませんでした。しかし、仮にエキシナイなら、

e-kes-nay エ・ケㇲ・ナイ 頭(岬)の・端の・川

という意味にとれないこともありません。実際、エ(イ)キシナイという地名は他にも見られます。そして、前述した

sir-kes-nay シㇽ・ケㇲ・ナイ 山の・端の・川

両者は全く同じような意味で解釈できます。仮に現在の尻岸内川はアイヌ語であったとして二つの名称で呼ばれていたのかもしれません。

面白いのは松浦武四郎にせよ、『蝦夷巡覧筆記』の高橋壮四郎にせよ、シリキシナヱ(尻岸内)という言葉で表される村の中心部はもっと西側の冒頭で述べた現在も豊浦・大澗いわば尻岸内村の中心部になるのです。尻岸内川から出た地名なら、もっと川の近くに中心部があってもいいような気がします。

旧尻岸内町の町域や現在の尻岸内川の存在に引っ張られてしまうと、尻岸内という地名は旧尻岸内町の広範囲を指し示していたと勘違いしそうですが、江戸時代の文献からは尻岸内は尻岸内川西岸のしかも川から少し離れた神社あたりから西側(現在の大澗・豊浦近辺)を示していたようです。一方、尻岸内川は文献上ではエキシナイやゑきしないなどと称されております。

①尻岸内川は昔エキシナイ等で呼ばれていた。

②尻岸内村の中心部は尻岸内川よりずっと離れて存在している。

この二つから推測するに、尻岸内村の地名由来は、現在の尻岸内川、つまりエキシナイとは別個に存在したと考えるのが妥当なのではないでしょうか。

尻岸内村の由来は別に存在したと考えたほうが合理性があるような気がします。

尻岸内の地名由来~シリキシラリの正体

では、尻岸内川とは全く関係ないとしたら尻岸内村の地名由来はなんなのか?

ここでもう一度上原地名考の尻岸内の由来を思い出すと、「シリキシラリ」という記述があり「シリキシラリナイ」ではないのです。尻岸内の「内」という字からついアイヌ語の「ナイ(川・沢)」を連想してしまいますが、上原熊次郎はあくまでも尻岸内の由来は「シリキシラリ」と言い切っています。

siriki-sirar シリキ・シラㇽ 模様のある・岩(磯)

このシラㇽには磯にある岩の意味が込められているのは、前回お伝えした通りですが、尻岸内川にはこれといったシラㇽは存在しませんでした。ところが、尻岸内の中心部に行くと直ぐ近くに模様のある立派なシラㇽが散在しているのです。

いわゆるサンタロナカセと道南金剛があるところです。

サンタロナカセ付近
サンタロナカセ付近
いわゆる柱状節理
いわゆる柱状節理

上の写真は道南金剛からサンタロナカセ付近の海にある岩です。道南金剛のいわゆる柱状節理と言われる岩が模様のように見えています。これこそまさしく上原熊次郎が記した「シリキシラリ」なのでしょう。

シリキ・シラㇽ→シリキシナイ→尻岸内

よくよく聞けば、シリキ・シラㇽは尻岸内に聞こえますよね。

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尻岸内川と「シリケスナイ」

そうなると、尻岸内川はなに?と思ってしまいます。

現尻岸内川はそもそもエキシナイ等と呼ばれていたのは記した通りです。推測するに、その川名が尻岸内という村名に浸食されてしまったのではないでしょうか。村域を流れる一番大きな川だったのでいつしか尻岸内川になってしまったと考えます。

岩壁ニ形像アル川 一説「シリケスナイ」ニテ山下川ノ義ナリ

永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)176頁

とある永田方正氏が記した「シリケスナイ」というのは、筆者が見た限り(多く無いですが・・・)では永田氏の『北海道蝦夷語地名解』だけで、他の文献にその記述を探し出すことが出来ませんでした。

もしかしたら、永田氏が「尻岸内」という語と「エキシナイ」等の記述を整合的に解釈するために、アイヌ語として「尻岸内」に音が似ていて「エキシナイ」等に同様の意味を持つ「シリケスナイ」という語を当てた可能性はないでしょうか。尻岸内という音から永田方正氏がそのように解釈して収載した可能性を筆者は否定できません。

そう考えると、村の名前として尻岸内はありますが、『永田地名解』以外の文献に川の名前としての「シリケスナイ」が見られないのも納得できます。だって誰も尻岸内川を「シリケスナイ」なんて呼んでないのですから・・・。

まとめ

尻岸内という地名は「シリキ・シラㇽ」というサンタロナカセや道南金剛の柱状節理の特徴的な岩模様から起きたアイヌ語に由来する名称である可能性を指摘しました。

また、今の尻岸内川はエキシナイ等の言葉で記され、おそらく e-kes-nay エ・ケㇲ・ナイ 頭(岬)の・端の・川という意味のアイヌ語であったでしょう。山や岬(の)端・川という意味のシㇽ・ケㇲ・ナイは尻岸内(しりきしない)という音に引かれて永田氏が収載した言葉の可能性が高いと筆者は考えています。

さて、次回は尻岸内川に付けられた女那川という地名の謎にいよいよ迫ります。

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