イワシの酢締めを作る~活きの良いイワシの食べ方③
地名
南富良野町幾寅(いくとら)の地名由来
今年は寅年ということで、ちょっと「寅」の付いた北海道地名をご紹介。南富良野町に幾寅(いくとら)という地名があります。ちょっと聞くと変わった地名だなと思いますが、そこは北海道です、すぐにアイヌ語が由来の地名と気が付くことでしょう。『角川日本地...
南茅部臼尻(うすじり)の地名由来
臼尻は函館市に合併された旧南茅部町の地名です。臼尻村として昭和16年まで存在し、その後は南茅部町に統合されます。その臼尻という地名も遡ると江戸期にその名前を見ることができます。臼尻村役場跡碑臼尻という地名の由来を『角川日本地名大辞典』から紐...
地球岬(ちきゅうみさき)の眺望と地名由来
先日、道東に行く用事がありその途中で室蘭の地球岬に立ち寄りました。絵鞆(室蘭)半島の名所ですね。筆者、室蘭の中では好きな場所の一つです。室蘭は函館よりもずっとアイヌ語由来地名が多いです。ちなみに絵鞆半島の絵鞆、その由来を引用していきますと上...
熊別川(くまべつがわ)の地名由来
旧戸井町の中心地を越えて国道278号線を恵山方面に車を走らせると、熊別川が見えてきます。その地名由来はアイヌ語と言われています。永田方正氏の『北海道蝦夷語地名解』、通称『永田地名解』には亀田郡 Kuma-o-pet クマオペッの項として、魚...
函館市住吉町の地名由来~旧地名尻沢辺(しりさわべ)
函館市の駅から見て太平洋側、大森浜の方にある住吉町。その地名由来はもちろん、他の市町村同様、住吉神社に由来します。しかし、住吉町付近の旧名は尻沢辺という地名でした。『北海道蝦夷語地名解』では、Shiri sara be シリサラベの項として...
尻岸内(しりきしない)の地名由来③~女那川の謎
↓ ↓ いよいよ前回記事からの最終回です。大分時間があいてしまいました。尻岸内川に架けられた「女那川橋」・・・普通に考えるなら「尻岸内橋」が妥当なネーミングです。前回お伝えしたように、尻岸内川は昔、エネケシナイやエ(ゑ・イ)キシナイの呼ばれ...
尻岸内(しりきしない)の地名由来②~シリキシラリの正体
前回、尻岸内の地名由来を調べていると、尻岸内川の大橋の名前が「女那川橋」という地名がありちょっと疑問をもったので調べてみようということになりました。別の川の名前いつもの通り、困ったときの『角川日本地名大辞典』の女那川の項を調べてみると、昭和...
尻岸内(しりきしない)の地名由来①
尻岸内は江戸期からある地名で、尻岸内村を経て昭和39年に尻岸内町、昭和60年には恵山町と改称します。現在でも、河川名や神社、郵便局にその名前は残されています。尻岸内の中心部は尻岸内八幡神社がある辺りで、現在は大澗町と名前を変えています。尻岸...
函館市汐首(しおくび)の地名由来
旧戸井町、現在の函館市の地名で、今では町名と岬名になっています。古くは「汐くび」とか「塩くひ」などと文献に見られます。『北海道蝦夷語地名解』では、シリ ポㇰの項として、山下 和人汐首ト訛ル永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館...
函館市銭亀町の地名由来
函館市の銭亀町は昭和41年からの町名ですが、合併前の銭亀沢村が前身となります。函館市に合併される前までの銭亀沢村は、明治35年に銭亀沢村と石崎村、志苔村、根崎村の4か村が合併して成立したものです。その4村が合併前の元々の銭亀沢村があった場所...
函館市石崎町の地名由来
函館市石崎は汐泊川の東方の津軽海峡沿岸の地名です。『北海道蝦夷語地名解』には、シララ・エト゚の項として岩岬 石崎村永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)176頁と記しています。おそらくsirar-etu シラㇽ・...
函館市小安(おやす)の地名由来
渡島の亀田半島南沿岸部、旧戸井町に小安(おやす)という地名があります。近くには谷地町川・高屋敷川・小安川が流れており、地名の由来になっているのは小安川だと思われます。永田方正氏の『北海道蝦夷語地名解』には、オヤ・ウシの項として、川尻ノ漁塲 ...
厚沢部町当路(とうろ)の地名由来
道南厚沢部町に当路(とうろ)という地名があります。その由来はもちろんアイヌ語と言われていますが、『角川日本地名大辞典』から引用すると、(前略)地名は、アイヌ語で沼が群をなしているところとか、湿地帯の多いところの意であるトロに由来するとされる...
立待岬の地名由来
立待岬は「たちまちざき」とも言われ、函館の南端で函館山の東にある岬です。観光名所としても有名なので道外の方もよく知っている地名かもしれません。近くには石川啄木一族の墓もあります。これはおそらく俗説でしょうが、筆者が子供のころには身を投げ入れ...
椴法華(とどほっけ)の地名由来
上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』には、夷語、ツ゚ゥトボキなり。ツ゚ゥとは出崎なる山の事。トはのと云う助語なり。ボキとは蔭と申事。此所崎の陰なるゆへ地名になすといふ。(後略)上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」(山田秀三監修、佐々木利和編『アイ...
軍川(いくさがわ)の地名由来~かなりの当て字です
軍川は大沼南部にある小川ですが、その地名を聞くと戦場ヶ原のように昔この川を境にアイヌと和人の戦いがあったのかと思わせる名ですが、真相は全く違います。『角川日本地名大辞典』によると、軍川の流れ(前略)地名の由来は、文久3年相馬藩の熊川易隆は「...
大沼・小沼の地名由来
七飯町に大沼国定公園があります。その大沼公園は夏は遊覧船や釣り人で、冬はスノーモービルやワカサギ釣りで賑わいます。と言っても最近はめっきり訪れる人が少なくなったなあ、なんて思います。筆者の子供の頃は小さい針でフナやコイを釣る釣り堀ならぬ釣り...
恵山の地名由来
恵山は道南の最東端の地名であり、今では山や岬、町名としてその名前が残っています。恵山の地名のルーツを探っていくと、やはりアイヌ語に行きつくのですが、『北海道蝦夷語地名解』には岬と山について恵山の意味が二つ書いてあります。まずはエサン、岬の説...
静狩(しずかり)の地名由来
函館方面から国道37号線を海岸沿いに長万部方面へ抜けていくと、37号線は左に曲がり静狩峠へ向かいますが、真っ直ぐというかやや右に反れながら静狩市街に入っていく道があります。静狩市街を真っ直ぐいくと右手に漁港が見えて行き止まりとなります。長万...
七飯町峠下(とうげした)の地名由来
国道5号線を北上して大沼トンネルを抜ける手前までが峠下と呼ばれる地域です。『角川日本地名大辞典』には峠下の地名由来に関して、 峠ノ下・嶺下とも書いた。渡島地方南部、久根別川上流の函館平野北端に位置する。地名は大峠または長坂峠と称される峠の下...