夏休み親戚の集まりで寿都浜中野営場にて、2泊3日のキャンプを行ってきました。
浜中野営場は無料で利用できるため、この日も多くのキャンパーで賑わっていました。水道、トイレも完備しており、これを無料で使えるのは大変助かります。眼前には砂浜が広がり、水上バイクや釣りを楽しむ人が沢山おりました。ただ、海水浴をするには、この海中は突然深くなるのと、離岸流も強そうなので注意した方が良さそうです。無事救助されましたが、この日も沖にボートごと流された人がいました(汗)
浜中という名称があるので、これはアイヌ語のオタ・ノㇱケ 砂・真ん中の意かなと思ったら、『北海道蝦夷語地名解』を見るとそのまんまでした。写真を見てもわかるように素晴らしい砂浜です。こんなに大きな砂浜の中に立ったら、オタ・ノㇱケって名付けたくなりますね。
風の強い街なので風力発電の風車が林立しています。宿泊しても風車の音などは気になりません。また砂浜なので珍しい浜防風も見つけました。
ふと地図を見ると近くに母衣月山(ほろつきやま)という地名があるようです。寿都湾のすぐ西側にある月越山脈の最高峰のようです。これはポロ・トゥキでアイヌ語で大きいを意味するポロと和語からアイヌ語に流入した杯(トゥキ)を示した地名だろうと思いどんな形状の山かわくわくしました。残念ながら、頂上部は厚い雲に覆われて、一日目は雲が晴れません。
二日目、雲が無くなり、月越山脈もはっきりと見えるようになりましたが、あれ?なんかイメージしていたのと違います。
どう見てもトゥキに見えません。ネットで調べてみると、杯をひっくり返したようななだらかな山なのでこの名称が付いていると書いているサイトがありますが、今一釈然のしません。国土地理院の地図で地形図を見てみても、それほどか?と思わせる形状です。
『北海道蝦夷語地名解』にも母衣月山に該当するような地名は見えません。また、『東西蝦夷山川地理取調圖』を見ても母衣月山のある部分には別の名前が描かれており、母衣月山という名称が出てきません。母衣月山の名称はどこから生まれたのか? どうしたものか・・・と地図で寿都湾を見渡すとああ、なるほど、と思ってしまいました。
山田秀三氏の『アイヌ語地名の研究1』を見ると、津軽半島の地名袰月(ほろつき)に関する記述があります。
何か美しい地名である。『津軽一統誌』は両翼突と書いて「ほろつき」と読ませているのは、地形的に、二つの岬の突出している間の土地という意味を当て字だろう。また双翼突とも書かれた。(中略) 全く円い入江で、周壁は急傾斜である。火口湖に出て来たみたいであった。地図だけではこの感じが出ない。
この地名はポロ・トゥキ poro-tuki(大きい・酒椀)だったのであろう。アイヌは神祭りをする時に、大きい、お椀型の酒盃(木製)を使い、先ず数滴を神に献り、その後を飲み廻す。それをトゥキと云った。
この入江はそのトゥキになみなみと酒を盛った姿そのままなのであった。
山田秀三『アイヌ語地名の研究 第一巻 新装版』(草風館、1995年)219頁
上のグーグルマップは津軽の袰月です。山田氏が指摘したように海岸が円形になりまるで巨大なトゥキに酒が注がれたようです。
一方、浜中野営場の眼前に広がる寿都湾はどうでしょうか。
これまた、スケールは遥かに大きいですが、間違いなくトゥキと呼ぶにふさわしい形です。おそらく母衣月山から見た寿都湾が「ポロ・トゥキ」に見えていて、山に登ったアイヌ人たちが見下ろした湾を呼んでいたものが、いつしかその山を示す地名になってしまったのではないでしょうか。きっと母衣月山からは円形状の綺麗な寿都湾が見えると思います。機会があったら是非登ってみようと思います。