函館市の銭亀町は昭和41年からの町名ですが、合併前の銭亀沢村が前身となります。函館市に合併される前までの銭亀沢村は、明治35年に銭亀沢村と石崎村、志苔村、根崎村の4か村が合併して成立したものです。
その4村が合併前の元々の銭亀沢村があった場所は、銭亀沢村大字銭亀沢村でちょうど今函館市銭亀沢村支所や神社があるあたりでしょうか。現在も支所は銭亀沢という名称になっており、「沢」の字が入っています。銭亀沢とあえて沢がついているので、地名の由来になったのは川や沢であると推測できます。
それじゃ近くに沢や川はあるのかというと、中心部を流れる川は支所の西側を走る「乳母川」と銭亀八幡神社の前を流れる「銭亀宮川」の二つになります。
乳母川という名前も非常に気になりますが、地名由来の川を比定するなら銭亀宮川がよさそうです。その銭亀沢も、古くは元禄13年の『松前島郷帳』に銭神沢村(ぜにかみさわむら)と記されていました。
単純な当てた字の違いだけなのかわかりませんが、神社の前を通る川なのでなにか関連付けて考えてしまいそうです。
その「銭亀」の由来は何かというと、安政3(1856)年から、幕府の命を受けて市川十郎という人が蝦夷地の実地調査をした文献が残っていますが、それによると
地名一説に、昔土中より瓶を掘出したるに、其中に銭多く有し故地名となれりと是説おもしろし。
市川十郎「蝦夷実地検考録」『函館市史 史料編 第一巻』(1974年、第一印刷)421頁
銭が多く入った瓶(かめ)が土中より出て来たという伝承があったようです。実際、お隣の志海苔町で昭和43(1968)年に道路の拡幅工事中に3個の甕が発見され、その中から大量の古銭が発見されました。(志海苔古銭)
地域的にずれているとはいえ、川のすぐそばから発掘されるなんてのは伝承を裏付ける発見と言えるかもしれません。銭亀宮川周辺を掘り起こしたら、まだまだ出てくるかもしれませんね。(笑)
志海苔古銭については市立函館博物館に収蔵されていますので、是非見てみて下さい。
銭亀の由来が伝承通りであるなら和語でありますが、和人入植以前のアイヌ時代はどんな地名だったのでしょうか。
『北海道蝦夷語地名解』には、現在の銭亀町の中の一地名として「クン子 シララ」という項目があります。
黒岩 寛政以前松前領ト蝦夷ノ堺境
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)175頁
kunne-sirar クンネ・シラㇽで黒い・岩です。シラㇽは海中の岩も指します。
冒頭の写真、銭亀町の地名掲示板の横に黒い岩が立っていますね。その周辺は黒岩という地名になっています。黒岩岬近くの海中には黒い岩が散在して、その地名の通りとなっています。
もともとアイヌ語地名を全訳したのか、見た目そのままの和語としての地名なのかはわかりませんが、松前領と蝦夷地域の境界線だったようで、丁度良い目印だったのかもしれません。
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