尻岸内(しりきしない)の地名由来③~女那川の謎

女那川橋掲示板地名
女那川橋掲示板
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↓ ↓ いよいよ前回記事からの最終回です。大分時間があいてしまいました。

尻岸内川に架けられた「女那川橋」・・・普通に考えるなら「尻岸内橋」が妥当なネーミングです。前回お伝えしたように、尻岸内川は昔、エネケシナイやエ(ゑ・イ)キシナイの呼ばれていて、その近辺を女那川だと『角川地名大辞典』には書かれていました。女那川は昭和8年からの行政字名です。昭和8年ですから、比較的新しい公式名称ということです。

『函館市史』によれば、「この地租の納入にともない土地の権利書として「地券」が発行された。ここに西村善次郎名義(郷土に初めて移住した西村善次郎の4代目か)の明治13年3月1日・同14年11月1日発行の「地券」が6通存在する。」とあり、そこに「渡島國茅部郡尻岸内村字女那川」とあることから、少なくとも明治期にはあった地名のようです。

グーグルマップで見るとわかる様に、橋の名前もそうですが、現在は女那川町として大部分が尻岸内川左岸にある区域です。しかもその中心部は『蝦夷巡覧不筆記』にも出て来た「メノコナヱ」というところで、現在もメノコナイ川が流れています。恵山方面に向かうにはメノコナイ川から川沿いに山に登り尾根を伝って古武井川手前の砂浜に降り立ったようです。

メノコナイ橋
メノコナイ橋
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メノコナイ川
メノコナイ川

メノコは日本語でもアイヌ語でも女という意味ですので、直訳すると女・川です。何故メノコナイというかは全くわかりません。アイヌ語は結構対比的に用いられるので、近くに対比できるような名前があれば良かったのですが、見つけることはできません。※1

話は戻して、メノコからメナと転訛してあの近辺の地名になったとしても不思議ではありません。

しかし、それでは疑問が残ります。本家本元のメノコナイはいまだにその地名をメノコナイと言っているのに、女那(メナ)という訛った言葉が独り歩きして町名になるのでは少しおかしい。しかもメノコナイからかなり離れた尻岸内川の右岸までその町域となっていては、メノコナイ=女那川は少し苦しい感じがします。

ここは少し、アイヌ語地名の原点に返りましょう。

女那の音だけとるならメナは厚沢部のところでも取り上げましたが「支流」という意味合いがあるアイヌ語です。その支流もどちらかと言えば川の流れも無く淀んで滞留しているような川でした。とりあえず近くにメナと呼ばれるような川が無いか探してみます。探してみるとメナという直接的な音を持つ川はありませんでしたが、3つの支流がありました。

尻岸内川左岸を流れるアユヌマ川、右岸を流れる冷水川と久保田川です。

道南に冷水川という地名が多いですが、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイを日本語に全訳したものがだったりするのでこの「冷水川」も、もともとアイヌ語由来であった可能性が高いように思われます。しかも現在の女那川町は冷水川の南側に区域に限定されているので、冷水川がメナ川であった可能性は低そうです。

そうすると残りの二つになりますが、女那川町域がなぜメノコナイを遠く離れた尻岸内川の右岸河口域にまであるのか、それはそこにメナがあったからと考えられなくはないでしょうか。そう考えると尻岸内川の右岸にある久保田川にスポットが当たりそうです。しかも、いかにもこの日本語的な名前はかなり後から付けられた感があります。

早速その久保田川に行ってみました。

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久保田川
久保田川

やはり、淀んだ流れのないいかにもメナという川です。ちょうど近くにご老人方が集まっていましたので、「この小川はなんという名前ですか?」と尋ねたところ、みんな一様にお互いの顔を見合わせ知ってる?的な困った様子でした。一人の男性が名前なんてないよといいます。久保田川という川ですら知られていませんでした。

久保田川付近の尻岸内川
久保田川付近の尻岸内川

久保田川がそそぐ尻岸内川を見ると、全くの遅流、そもそも尻岸内川は下流付近で中洲で二つの流れに分かれていますので、もしかしたらこの遅流の一方を「メナ」と称したのではないかと考えてしまいました。

さて、ここまで調査したところで女那川という名前に一つの仮説を提供したいと思います。現在の尻岸内川は江戸時代にはエ(ゑ・イ)キシナイなどと呼ばれていました。その下流域にはメナ(川)があって、次第にその周辺をメナ川と呼ぶようになります。この辺の方は津軽系統ですので、メナに愛称の語尾をつけて「メナっこ」と呼んだかもしれません。一方で尻岸内川の左岸の離れたところにメノコナイがあって、そこを中心とした集落が生まれます。ところが、このメノコナイに引き寄せられる形で、右岸にあったメナ川流域も同一地域化したのではないでしょうか。

そこでできた町名が女那川。普通に道南で支流を表すメナは「目名」と当て字されますが、ここではメノコナイの女に強く引き寄せられ、「女那」となったと想像してみます。

これはあくまで推論ですので、正直自信がありません。

もう少し、江戸から明治期の官製文書などに当たれれば真相がはっきりするかもしれません。ちょっと物足りない結果となりましたが、残念ながら今回の調査はこの辺にしておきます。

また、新しい情報があれば随時追記していきます。皆さまからの情報もお待ちしております。

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※1、永田氏の『北海道蝦夷語地名解』ではシリキシラリナイの次に、マツ子ナイ、イクシュンナイ、サパオマナイと書いた。以下引用すると、

マツ子 ナイ 女澤(ルビ・メノコサワ) 一名 イクシュンナイ

イクシュン ナイ 向ヒノ澤 一名 マツ子ナイ

サパ オマ ナイ 髑髏アル川 北見國に「メチヤツコオマナイ」※2ノ名アリ此ト同義蝦夷紀行ニ「マツ子ナイ」ヨリ濱傳へニ行ク山下ノ岩濱ヲ「サパオマナイ」ト云フ昔アイヌ戰爭ノ地ナリ

永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)177頁

これによれば、マツ子ナイ(メノコサワ)はイクシュンナイとも呼ばれていたようであるが、なんの向かいであるのかはよくわからなかった。イクシュンナイがエキシナイと聞こえないこともないので、永田氏がエキシナイをこう解釈したか。シリキシラリナイを尻岸内川と考えたため、多くの文献にあるエキシナイを整合的に解釈するには、マツ子ナイをエキシナイに比定する必要があったのではないだろうか。また、サパ・オマ・ナイはsapa-oma-nayで頭(岬)の・ある・川とも解釈できるので、これもまた、エキシナイやシリケㇲナイと同義となってしまう。『蝦夷紀行』の原文に当たってないのでなんとも言えないが、説明文からメノコナイよりも恵山側を示しているようであるが、どうも同じような意味の地名が揃いすぎていて本当に別ものを指すのだろうか疑問に思うところであります。

※2、メチャッコはmechakkoで髑髏の意味なのでsapa-oma-nayとmechakko-oma-nayが同義になるのか、現段階での筆者の知識では判断できない。

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