いよいよ『北海道蝦夷語地名解』を歩く上磯郡最終章です。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。さあ、あともう少し道南地名の旅を続けましょう。
Shirattukari シラット゚カリ 岩磯の此方
『永田地名解』の注釈には、
札刈村の原名、舊地名解ノ説ヲ参酌ス
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年) 172頁
とあります。旧地名解とは『永田地名解』によると『東西蝦夷地名解』『蝦夷地名箋』『蝦夷地名解』とある書物を参考にしたとあります。3つの標題は異なっているが、
(前略)書中記スル所皆同一ニシテ毫モ異ナル所ナシ何人ノ作ナルカ知ル可ラズト雖モ蓋シ松前氏通辭ノ作ナラン(中略)其誤解少ナカラズト雖モ亦據ル所ナキニアラズ本篇引ク所舊地名解トアルハ是ナリ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)6頁
内容は同一のものであったとのことで松前藩の通訳が作ったものであろうと考えていたようです。『永田地名解』には「岩磯の此方」とあり、ちょうど函館方面からいくと札苅の手前あたりから矢不来まで少し沖合いまで浅瀬の岩場が広がります。松前側から見て岩磯の手前という意味だったのでしょう。岩磯に入ってしまうと船は海岸沿いに動かせなくなります。そうなると船を揚げる場所は限られてしまいますので、そのためにこの名称として残ったのかもしれません。サラキ岬で咸臨丸が座礁したのも頷けますね。アイヌ語ではsirar-tukari シラㇽ・ト゚カリ(磯の・手前)が「~rはt~の前ではtになる」という音韻変化でsirattukari シラット゚カリという音になります。シラット゚カリ →シャッツカリ→サツカリと変化したのでしょう。
Rir’o nai リロ ナイ 潮入り川
直訳するとrir-o-nay リㇽ・オ・ナイ(浪・ある・川)で発音はリロナイになります。浪あるから浪が遡るイメージなのでしょう。木古内村の原名と『永田地名解』では注釈していますが、満潮時に潮が逆流することからリロナイと名前が付いたらしいです。正直リロナイがキコナイに転訛するのかは疑問が残るところです。『上原地名考』には、
夷語リコナイなり。登る沢と譯す。リコとは高く登ると申事。ナイは沢の事にて此澤邊自然と高く上る故に地名になすといふ。
上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」(山田秀三監修、佐々木利和編『アイヌ語地名資料集成』草風館、1988年)41頁
rik-o-nayリㇰ・オ・ナイ(高い所・ある・川)で読みはリコナイになるでしょう。『上原地名考』では登る沢なので山奥まで登っていく意味があるのでしょうか。正直どちらが正しいのかはわかりません。さて、木古内には道の駅と新幹線の駅舎もあり北海道の玄関口として機能しています。道の駅にちょいと寄り道してみます。
Chiri ochi チリ オチ 鳥居ル處
『永田地名解』の注釈には、
知内(川、村Z)ノ原名此川ノ近傍鷹ノ名所ナルヲ以テ此名アリ和人「チリ」ヲ「シリ」ト訛ル例多シ休明光記ニ鷹取ノヿヲ記載セリ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年) 172頁
と記され、鷹の名所ゆえにその名前になったと記されています。この解の通りならchir-ot-i チリ・オ・チ(鳥・群在する・所)で「~tはiの前ではchになる」という音韻変化でchirochiとなり本来読み方では山田秀三氏が指摘するようにチロチと呼ばれるはずです。一方、『上原地名考』には、
夷語シリヲチなり。地を越すと譯す。扨、シリとは地の事。ヲチとは越すと申事にて、此沢邊所々江踰越する故此名あるべし。
上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」(山田秀三監修、佐々木利和編『アイヌ語地名資料集成』草風館、1988年)41頁
とあって、訳すると「夷語でシリヲチである。地を越すと訳す。そして、シリとは地の事である。ヲチは越すという事にて、この沢辺所々、川を乗り越えるゆえにこの名がある。」という感じでしょうか。山田氏をして「地形上は面白い解であるが、オチに越すという意味があったろうか。」と言わしめています。どうも、この『上原地名考』の解は「矢越」の説明と取り違えているような気がします。仮に、シリオチならsir-ochi シㇽ・オチでシロチとなり、島(大地あるいは山)・群在する所という意味になるのでしょうか。山は当然多いですし、島もイカリカイ島もありなんとなく当てはまりそうではありますが、なんとなく釈然としませんし、今となっては全くわかりません。ただ、二つの地名解の説明は知内という地域の説明であって、本来知内川には他のアイヌ語の名前がついていたように思われてならないのです。
Hakichani ハキチャニ 淺キ鮭卵塲
アイヌ語でhak-ichan-i ハㇰ・イチャン・イ(浅くある・サケマスの産卵穴・所)で読み方はハキチャニです。知内川を上流に遡り、ややしばらくすると到着です。現在では萩茶里の地名で残っていました。知内川でも結構な上流ですので、こんなところまで鮭は遡上するのかと感心してしまいます。
この萩茶里橋はちょうど北海道新幹線のビュースポットになっていました。
ペケレペッから始まった『北海道蝦夷語地名解』を歩く~上磯郡はこれで終了になります。意外とボリュームがあるので3回に渡ってしまいましたが、みなさんも地元の地名旅行をしてみてはいかがですか。