『北海道蝦夷語地名解』を歩く~上磯郡の地名①

『北海道蝦夷語地名解』 地名
『北海道蝦夷語地名解』
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永田方正氏の『北海道蝦夷語地名解』(通称『永田地名解』以下同)に記された地名を小旅行してみました。『永田地名解』では松前方面から記されていますが、今回は函館方面から訪れましたのでその順番に記していきます。見出しに記された地名は『永田地名解』の原文であり、知里真志保氏がいうところのアイヌ語的に正しくないものもあるかもしれません。とりあえずそのまま見出しにしました。文章内に記したものに関しては私なりに解釈して記したものになります。ゆえに見出しとアルファベットのスペルなど違っておりますのでご理解お願いします。また、行政区分では本来上磯郡に含まれる地名もあります(例えば久根別など)。ですが、あくまで『永田地名解』に表記されているままで巡っていきます。それでは、上磯郡ゴールの「ハキチャニ」を目指して、いざ出発!

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Pekere pet ペケレ ペッ 明川

peker pet(ペケㇾ・ペッ)については以前の記事で取り上げました。詳しくはそちらをご覧下さい。戸切地川の「ペケㇾ」はアイヌ語源であり白いや清いという意味です。この戸切地川の名前を意訳し、駅名の「清川口」や史跡の「清川陣屋(戸切地陣屋)」という地名が生まれています。清川陣屋やそこに至るまでの道は桜が植樹されていてこれからの季節は大勢の人で賑わいます。

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Shushu ush nai シユシユ ウㇱュ ナイ 柳川

流渓川の河口
流渓川の河口

susu-us-nay(柳・群生している・川)で同母音の「u」が欠落し、アイヌ語的には「susus-nay(ススㇱ・ナイあるいはシュシュㇱ・ナイ)」の呼び方になるでしょう。 シユシユ・ウㇱュ・ナイでは知里氏が見たら幽霊アイヌ語地名と言うかもしれません。では、この「ススㇱ・ナイ」はどこにあたるのでしょうか。戸切地川から次のヤンゲナイまではいくつかの川が存在しています。現在の名前で 「宗山川」「流渓川」「下町沢川」などとそれなりの川があり、それらの中の一つと思われます。『東西蝦夷山川地理取調圖』には函館方面からみてソエヤマ川(川名)・ハタ川(川名)・ミツヤ(地名)・ヤナキ川(川名)・トミ川(地名)・下マチ川(川名)と書かれており、ソエヤマ川は現在の宗山川、ハタ川は桜岱排水川と合流する端の川がそれにあたるのでしょう。そうなると、流渓川がヤナギ川にあたり、『永田地名解』で言うところの「ススㇱ・ナイ」と言えそうです。

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Yange nai ヤンゲ ナイ 陸揚場

yanke-nay(陸に揚げる・川)です。詳しくは矢不来の地名由来をご覧ください。この矢不来川を超えて茂辺地川に至るまでに海の中をみると俗にいう「矢不来のボーズ」があります。

矢不来のボーズ

上空から見える海の中に浮かぶ白い点がそれになります。もともとは函館山にあった砲台の照準を合わせるために設置されたものらしいです。今では波に削られ、だんだんとスリムになっています。

Raramani pok ララマニ ポㇰ 水松の下

rarma-ni-pok ラㇽマ・二・ポㇰ (イチイの・木・下)ですが、北海道では「おんこの木」と言った方がわかりがいいでしょう。矢不来から茂辺地の間の地名であるのかもしれませんが、海沿いに車を走らせても崖崩れを防ぐ工事がなされた後で、植樹された松しか見ることが出来ません。崖上を歩くとおんこの木があるのかもしれませんが、今回はごめんなさい(*_*;

Mo pechi モ ペチ 静謐川

茂辺地川の掲示板

現在の「茂辺地川」ですが、『角川日本地名大辞典』から引用すると、

古くは、「もべつ」「もへち」といった。(中略)茂辺地川はアイヌ語でモペチと呼ばれ、静かなる川を意味したが(北海道蝦夷語地名解)、和人が当地を茂別と呼ぶようになり、のちに茂辺地と誤称され地名となったという(茂別郷土史)。一説にはムーベツ(塞がる川の意)に由来するともいう(蝦夷地名考幷里程記)。

竹内理三編『角川日本地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)1527頁

①mo-pet 静かな・川

②mu-pet 塞がる・川

の二通りの解釈が存在します。

山田秀三氏の『北海道の地名』から引用すると、

永田地名解は「モ・ペチ(静かな・川)」と書き、爾来その解が踏襲されて来た。通りかかって川を見ると、川下の方は砂浜でせき止められて水が貯まり、川幅が広がり、ほんとうの遅流であるが、街道の橋から上は相当の流れで何か変だなと思った。上原熊次郎地名考を見たら「茂辺地。夷語ムー・ペッなり。塞る・川と訳す。此川渇水または仕化(しけ)の節、水口塞る故地名になすと云ふ」と書かれている。この方が地形の上からは合っているようである。道内に多いモペッ(もんべつ)の中には、この形のものが混じっていたかもしれない。

田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社、1984年)432頁

名に「mo」がつく場合は大体2つを比較して小さい方を指し示し、川の名前なら支流を言うことが多いのですが、茂辺地川にはこれより大きな川は存在しません。ここの場合は「小さい」ではなく別の意味になるのでしょう。 mo-pet モ・ペッ(静かな・川)が通説ですが、あるいは、mu-pet ム・ペッ(塞がる・川)であるかもしれません。現在の河口も塞がりつつありますが、道南の川って今は結構河口が塞がっている場合が多いので現状を見てでは、あてにならないかもしれません。旧図や文献なども「モ」の音しか伝えていませんので、音から考えて「モ」で「モ・ペッ」の方で考えたいですが、正直確証などありません。

茂辺地川河口

函館から来て茂辺地川を渡って直ぐに右に曲がり、川沿いを上流に向かうと左側に近年まで運行していた寝台列車「北斗星」の客車が見えてきます。今は「北斗軒」というお店が営業しています。ラーメン等ありますので近くを通った際は立ち寄ってみて下さい。

Google マップ

At ushi アッ ウシ 楡樹アル處

『永田地名解』から引用すると、

今「カツトシ」ニ誤ル昔シ此山中ニ楡多シ故ニ名ク今ハ岬名トナリタリ「アツ」ヲ「カツ」ト訛ル例ハ多シ小樽港ノ「アツナイ」ヲ「カツナイ」ト云フ類是レナリ

永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)173頁

とあり、現在の葛登支岬灯台に比定できます。『永田地名解』あるように「アツトシ」を「カツトシ」と訛ったものであるとのことですが、at-us-i(アッ-ウㇱ-イ)で「オヒョウ楡・群在する・処」という意味でしょうか。実際の音はアッツシからカツトシに変化したのでしょう。しかし、現在の灯台周辺は御覧の通りですが、オヒョウ楡が群在してるのでしょうか。葉でも生えないと植物に不得手な私にはどれがオヒョウ楡かは今の時点で全くわかりません(笑)。灯台までは歩いて登れますので、近くに来たときには登ってみてはいかがでしょうか。上からは津軽海峡や函館山が一望できます。

Google マップ
葛登支岬灯台
葛登支岬灯台
葛登支灯台への道
灯台までの道(およそ150m)
葛登支岬灯台の説明版
灯台説明板
葛登支岬灯台近くから見る函館山
灯台近くから見る函館山

『北海道蝦夷語地名解』を歩く~上磯郡②へ続く

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