二つの地名は函館市の宇賀浦町と志海苔町と現在は呼ばれていますが、この二つには共通点があります。それは、どちらも同じアイヌ語がルーツであるらしいということです。
宇賀昆布
宇賀浦町は函館市の大森浜近辺の海岸沿いで昭和6年9月に新川町と高森の各一部を合わせて作られた町名です。町名の由来はいわゆる「宇賀の浦」に面しているからです。「宇賀」というと元々「宇賀昆布」が有名でありますが、『函館市史』には、
(前略)元弘4(1334)年の著といわれる『庭訓往来(ていきんおうらい)』によれば、全国特産物の1つとして、宇賀の昆布・夷の鮭が挙げられている。宇賀昆布とは、いまの函館市銭亀沢のウンカ川付近に産したもので、この地は昆布の産地として有名であり、のちに志海苔昆布として知られるようになったのも、この地方のものである(後略)
『函館市史 通説編 第一巻』(第一印刷、1980年)332頁
とあり、元々ウンカ川(史料にはウンカ川・ウッカ川・宇賀川・雲加川・運賀川などと記される)付近の昆布を指したものらしいです。
運賀川の由来
現在、ウンカ川は運賀川と記され「うかがわ」と呼ばれており、 潮光中学校より少し東側を流れています。現地にいくと民家の横を流れるかなり整備された小川になっております。
後に汐首岬から尻沢辺(住吉町辺り)までを宇賀浦と称しましたが、そこから宇賀浦町が誕生しました。宇賀の原名がこの運賀川によるのではないかというのですから、 宇賀浦町のルーツはずいぶん遠くにあるものだと感じてしまいます。下は国土地理院の地図で運賀川の位置です。
その運賀川は一説にはアイヌ語でutka・pet ウッカ・ペッと言ったらしいです。petはアイヌ語で川の意ですがウッカはというと、厚沢部町鶉の地名由来でも取り上げましたが、
川の波だつ浅瀬;せせらぎ。-本来はわき腹の意で、そのように波だつ浅瀬をさす。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』(北海道出版企画センター 1956年)139頁
とのことです。永田地名解でも「浅瀬川」と訳されていました。それほど深くない小川ですので、ウッカの表現でも間違いはなさそうですが、前述したうように整備されてアイヌ時代と大分形が変わってそうなので、なんとも言えません。
とりわけアイヌ人たちが名前として残す特徴的な何かを見出すことはできませんでした。
この河口から海を見ると、ここから宇賀昆布がおこったのかあと感慨深くなります。宇賀昆布発祥の地碑とか作ればいいのになあと考えてしまいました。(笑)
『北海道蝦夷語地名解』に書かれたウカウシラリ
一方、志海苔町は湯の川や根崎をさらに通り越した海岸沿いの地名になります。「しのり」と読ませるので海藻を連想させますが、宇賀の昆布と違い、海藻の海苔は無関係です。(笑)
永田氏の『北海道蝦夷語地名解』では「ウカウシラリ 重岩」として、次のように説明しています。
志苔村邊ノ原名ナレトモ此名二ツニ分レテ「ウカウ」ヲ宇賀ノ浦ト呼ビ「シラリ」ヲ志苔ト呼ビ遂ニ志苔ノ名行ハレテ公稱ノ村名トナリ「ウカウ」ハ宇賀ノ昆布ト稱スル名中古ニ著シ今知ル者稀レナルハ惜ムベシ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)175頁
この名は二つに分かれて「ウカウ」を宇賀の浦と呼び、「シラリ」を志海苔と呼ぶようになったと書かれています。今一度、『地名アイヌ語小辞典』を見てみると、
「ウカウ」はアイヌ語で、
石が重なりあっている所
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』(北海道出版企画センター 1956年)135頁
一方、「シラリ」は、
①岩。(=suma)。(中略) ②磯;平磯;海岸の水中にあって汐が引くと現われる岩磐 ③荒磯;海岸の水底に群在する岩礁 (後略)
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』(北海道出版企画センター 1956年)122頁
と書かれてあり、ukaw-sirar ウカゥ・シラㇽを永田氏は「重岩」と訳したのでした。シラㇽは札苅地名の時にも出来てきましたが、シラㇽはおよそ海中の磯を指し示すことが多く、札苅でも水中にある岩でしたので、今回も陸上にある岩ではなく海水の中にある岩礁なのかもしれません。
ウカゥ・シラㇽを探す
ウカゥ・シラㇽを探して志苔館付近の海岸を捜索します。
志苔館についてはこちら↓
志苔館から周辺の海岸を見下ろすと若干海中に岩礁のようなものが見えていますが、はっきりとは確認できませんでした。 あれがシラㇽと言えるのか微妙な感じです。
後日、たまたま潮が引いているとき志海苔川付近の海岸を通りかかると、数多くの岩磯が姿を現しておりました。この状況がアイヌ語でいうウカゥはわかりませんが、少なくともいまの志海苔川河口付近、海中の中にあった岩磐をシラㇽといったことが間違いなさそうです。
念のため、グーグルマップの空撮画像を確認してみると、
見事なシラㇽが写っていました。しかも重なったような重厚感がありウカゥ・シラㇽと呼んでもいいんじゃない?と勝手に思ってしまいます。(笑)
函館市の宇賀浦町も志海苔町もアイヌ語にルーツを持っていましたが、宇賀浦町に関しては宇賀の原名を運賀川、アイヌ語のウッカ・ペッに求める説もありましたので、どちらかが絶対正しいという確証はないです。志海苔の方も単純にウカゥが省略されてシラㇽに志海苔の字を当てただけかもしれません。
確定はできないわけですが、ウカゥ・シラㇽ説で二つの地名に分かれてしまったという由来の方がインパクトもストーリー性もありますね。この大きい平磯を見ると地名として残ったのがわかる気がします。
いずれにせよ、宇賀の地名は発生源から大分離れた場所に残りました。しかし、発生源から遠く離れたとはいえ、昨今の市町村合併でしょうもない名称を生み出されるより、歴史や風土を理解した名称を付けられて良かったと思います。