七飯(ななえ)と七重浜(ななえはま)の地名由来

七重小学校画像 地名
七重小学校だけは「七重」表記
この記事は約6分で読めます。

現在の亀田郡七飯町(ななえちょう)ですが、前身は明治12年に出来た七飯村です。その七飯村は、七重村(ななえむら)と飯田村(いいだむら)が合併したものでした。飯田村は七重村から飯田郷として分郷したのが始まりで村名の由来は、安政年間にこの地に移住した八王子千人同心組の頭取飯田甚兵衛にちなむそうです。

一方、七重村はというとアイヌ語に由来するそうで、『角川日本地名大辞典』を見ると、①ヌアンナイ(豊かな沢・漁のある谷川の意)『北海道蝦夷語地名解』など ②ナァナイ(多く渓谷有るという意)『蝦夷地名考幷里程記』③ナムナイ(冷たい流れ又は谷の意)『アイヌ地名考』と諸説あるようです。

①のヌアンナイでしたら、nu-an-nayで豊漁・ある・沢

② のナァナイ  na?-nay 幾等?沢 ちょっと語義不明です。

③のナムナイならnam-nayで冷たくある・沢

『北海道蝦夷語地名解』をもう少し詳しくみると

豊澤「ヌアンナイ」急言シテ「ナンナイ」ト云フ。和人「ナナイ」ト云フハ訛ナリ。此地名ハ今ノ七重濱ナル石川ノ末流ニ附シタル名ナリ

永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)174頁

とあり、 アイヌ語の特性としてnu-an-nayが二つの母音がならんだ場合前者を追い出してしまうことがあるので実際にはnan-nayナンナイと発音されたのでしょう。

さらに、和人「ナナイ」と訛るとありますが、もしかしたら子音の重出を嫌うアイヌ語の特性でさらに音韻脱落が起こりna-nayナナイとなったのかもしれません。①説のヌアンナイは文脈から、現在の七重浜 (ななえはま) 付近の常盤川(ときわがわ)を指すと考えられます。 上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』 を見ると、クンネベツ-ナァナイ-亀田-箱館と海岸沿いに説明されていきますので、この「 ナァナイ」も自然に考えれば海岸沿いにある川に比定するのが当然でしょう。

二説はいわゆる海岸沿いである七重浜の説明だと思われます。現在の七飯と全く関係無い地域を指しているにも関わらず、「七重(七飯)」の由来として説明されているのは何故なのでしょうか。

スポンサーリンク

それは、もともと七重浜が七重村の出郷として考えられていたからと思われます。

七重浜は七重村の出郷なのだから、地名も同じ由来なのではないか、そう考えたとしても不思議ではありません。しかし、七重村と七重浜は地図でもわかるようにかなり距離がありました。七重村は山村なので山仕事、七重浜は漁民であったので漁を生業としていたので、出郷であっても関係性は次第に薄れてゆき、七重浜は有川村(旧上磯町)の一部ととなっていきます。七重浜は伊能忠敬が記した測量図には 「ナナイハマ」とあり、永田地名解が示すように「ナナイ」と訛って発音されていたことがわかります。「ナナイハマ」の由来は村東を流れる「ナナイ川」に由来しているものと思われれ、現在の常盤川にあたります。

「ナナイ川」は何故常盤川になったのか?

それは川に常盤木橋という橋が架けられており、その橋の名前から常盤川になったと考えられています。下記の古図
「安政丙辰有川村並戸切地古地図」 の右端にも「常盤木橋」が見えます。

安政丙辰有川村並戸切地古地図
安政丙辰有川村並戸切地古地図
スポンサーリンク

「ナナイ川(常盤川)」は、上流は東にいく石川と、西に向かう常盤川に分かれます。

西の常盤川は、久根別川の枝川である蒜沢川のさらに枝川のタタラ沢川に上流で合流していると考えられますが、普通に考えても、その上流に「七重村」いわゆる現在の七飯町を見出すのは不可能に近いのです。

ゆえに、現在の七飯町の「七重(七飯)」の由来として「ナナイ川(常盤川)」とは別に発生したと考えるのが自然であると思われます。

ここで、一旦冒頭に戻りますが、七飯村は七重村(ななえむら)と飯田村(いいだむら)が合併したことにより生まれた村でした。

合併して今は「七飯(ななえ)」と称されていますが、本来の読み方は七と飯が合わさるのですから「ナナイ」であるはずです。そう考えると合併前は七重村なのですから、「ナナエ」であり、合併したが「七飯(なない)」であるものが現在の町名は「ななえ」に変化したと考えられます。あくまでもアイヌ語由来の元々の音は「ナナエ」であるのかもしれません 。

七重の地名は七重小学校に残り、中学校や高校は「七飯」で表記されています。もっとも古い七重小学校の近くにアイヌ語源の「ナナエ」があるものと思われ、それが川を指すものなら、その七重小学校からもっとも近い川として「鳴川(なるかわ)」があります。

鳴川説明板
鳴川の説明版
スポンサーリンク

北海道が設置した掲示板をみると

普段は水の少ない川であるが、大雨が降ると急激に増水しゴロゴロと大きな石を転がす音を鳴らして、勢いよく流れたことから鳴川という名がつけられたらしい。

「鳴川」河川掲示板

というなんとも言えない説が書かれています。

鳴川の流れ

和名として考えた「鳴川」ですが、見る限り石などなく、ゴロゴロ石がを転がす音が鳴る川には見えないのですが、これは増水してみなければ検証できません。

とりあえず、「鳴川」を「ナナエ」と仮定して冒頭の①~③説を再検証してみましょう。

①説は、永田地名解が指すのは常盤川であり、この川を豊漁の沢と見るのは無理があるでしょう(そもそもこの細川で何が採れるんだ?)

②説、「ナナエ←ナァナイ」を検証してみますが「多く渓谷有る」という意味では全く当てはまりません。

③説を考えてみます。鳴川に設置された北海道が作った河川掲示板をみると「ゴロゴロと大きな石を転がす音を鳴らす」とありますが、寛政9年の「松前東西地理」には「成川」ともあり、意味が重要であれば「鳴」でなくてはならないので、この記述では非常に微妙な感じになります。

別の視点、「音」をとったと考えてみましょう 「鳴川」はアイヌ語の音と日本語を混成した地名と考えてみます。つまりナムナイ→ナム川→鳴川と変化したかもしれません。そうすると「成川」で表記されても「音」に意味があるので違和感はありません。

③説で元来、冷たい沢というナム・ナイが変化したのではないでしょうか。まあ、真相はわかりませんがね。

さて、七重浜の横を流れる常盤川は「ナナイ川」と称されていました。

昔は現在の函館水産高校や桜ヶ丘団地のあたりまで蛇行し、かなりの湿地帯(谷地)であったそうです。漁師がいて鴨など野鳥もいたりして豊富な食糧を想像させます。

永田地名解で書かれている「豊澤「ヌアンナイ」急言シテ「ナンナイ」ト云フ。和人「ナナイ」ト云フハ訛ナリ。」の豊漁の沢がなんともしっくりきそうです。「多く渓谷有る」ナァナイ説も常盤川でしたら、上流に行くほど分岐していきますので全く考えられない説ではないと思いますが、いずれにせよ断定することが難しそうです。

最終的に結論として言えそうなのは、七飯町の「ナナエ」と七重浜の「ナナイ」は別の由来から発生したとみるのが自然であるように思います。

タイトルとURLをコピーしました