尻岸内は江戸期からある地名で、尻岸内村を経て昭和39年に尻岸内町、昭和60年には恵山町と改称します。現在でも、河川名や神社、郵便局にその名前は残されています。
尻岸内の中心部は尻岸内八幡神社がある辺りで、現在は大澗町と名前を変えています。
永田地名解と上原地名考
永田方正の『北海道蝦夷語地名解』ではシリキ シラリ ナイの項として、
岩壁ニ形像アル川 一説「シリケスナイ」ニテ山下川ノ義ナリ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)176頁
とあります。2説並べていますね。上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』では、シリキシナイの項として、
夷語シリキシラリなり。模様の岩と譯す。シリキとは模様と申事。シラリは岩亦礒なとの事なり。此地に模様のある岩あるゆへ此名あるといふ。(後略)
上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」(山田秀三監修、佐々木利和編『アイヌ語地名資料集成』草風館、1988年)44頁
とあるので、おそらく永田氏は上原地名考を参考にしながらまとめたのかもしれません。2人の説明はシリキシラリに関してはほぼ同じものです。山田秀三氏の『北海道の地名』を調べてみますが、
尻岸内 しりきしない
町名。上原熊次郎地名考は「シリキ・シラリ。模様の岩と訳す。此地に模様の岩あるゆへ此名あるといふ」と書いた。永田地名解は、この解のほかに一説としてシリ・ケㇲ・ナイ(山・下・川)という別の解も付け加えている。
山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社 1984年)427頁
と書いてあり二人の説を紹介しただけで終っています。ちょっとあっさりしてますね。(*_*;
とりあえず2説を並べると、
①siriki-sirar-nay シリキ・シラㇽ・ナイ 模様(ある)・岩(磯)の・川
②sir-kes-nay シㇽ・ケㇱ・ナイ 山の・端の・川
になります。上原地名考でシリキシナイの説明なのにシリキシラリという説明で止めていて、模様の岩と訳すだけで「川」に触れていないところが若干気になる所です。厳密にいえば3説かもしれませんね。
①siriki-sirar-nayだとrはnの前に来るとnになる音韻変化がありますので、siriki-siran-nayとなりシリキシラナイやシリキシランナイとかになりそうです。永田地名解のシリキシラリナイはちょっとあり得ないですね。
尻岸内川河口付近
このブログでもシラㇽを何度か取り上げましたが、①に出てくるアイヌ語のシラㇽは今まで海中の磯や岩っぽいものにしか出会ってません。河口付近まで探索してみましたが、これといった岩も磯も見つけられませんでした。もう失われたのかもしれませんが、どうも説得力が無さそうです。
②説だと河口付近に行くと川が河口付近で急に山近くまで迫り、山の端の川という意味がしっくり来ます。ちょうど川下で川が東に蛇行し山肌の下、今は道路が通っていますがそこに当たる様に川の流れが有ります。
発音も、シㇽ・ケㇲ・ナイ→シリキシナイですんなり解釈できそうです。
↓↓ 空撮を見ても山の端を流れる様子がよくわかる。
これは②説で決まりかなと思っていたら、ちょうどセブンイレブンのある尻岸内川を跨ぐ国道の橋は「女那川橋」という名になっています。
なんで尻岸内川に女那川?どういうこと?
なぜ女那川という名前が付いてるのか素朴な疑問がわいてきました。もしかしたら、新たな発見があるかもしれません・・・少し突っ込んで調べてみることにしました。
尻岸内の地名由来②~シリキシラリの正体へ続く
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