函館市石崎は汐泊川の東方の津軽海峡沿岸の地名です。『北海道蝦夷語地名解』には、シララ・エト゚の項として
岩岬 石崎村
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)176頁
と記しています。おそらくsirar-etu シラㇽ・エト゚で、岩(もしくは、海中にある磯・平磯)・鼻(岬)です。もし、このままのアイヌ語で間違えなければ読みはシラレト゚になります。sirarは岩という意味もありますが、前に出た札刈や志海苔のときのように海中の岩を指すことが多いです。
etuは人間の体で鼻を意味しますが、その形から地名や地形では海に突き出た岬を示します。もしetuを重視するなら下の写真近くでしょう。岬の写真を収めてはみました・・・たしかにetuっぽいが・・・岩はどう解釈しららいいのでしょうか。黄色の雑草の下にはごつごつした岩が隠されているのでしょうか・・・はてさて。
それでは、グーグルマップで見てみましょう。
これまた、これがシラㇽ・エト゚という感じの所もありません。陸でなくても海のなかに平磯も無さそうですので、どうもここがそれっぽいという地形にたどり着けません。
さらに『角川日本地名大辞典』をめくると、
(前略)日持山妙応寺は永仁3年日蓮上人の高弟日持上人が開基し、この時南部の石崎から渡ってきたところから地名となったと言われる(町連のあゆみ)。(後略)
竹内理三編『角川日本地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)123頁
とあり、椴法華の由来と同じように日持上人が絡んできます。こうなってくると何でもありな感じがしてきてきました。(笑) 最後の頼みの上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』では、
此所石の出崎なる故、和人地名になすと云ふ。
上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」(山田秀三監修、佐々木利和編『アイヌ語地名資料集成』草風館、1988年)44頁
となっていて、上原熊次郎はとくにアイヌ語由来にも日持上人関連も触れていません。やっぱり岬の草下に石があるのか・・・。松前藩通辞の上原氏があんまりさらりと流しているので、アイヌ語の意訳ではなく、もしかしたら和語なのかもしれませんね。
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