矢不来(やふらい)は矢が来ない?矢不来の地名由来

矢不来川地名掲示板 地名
矢不来川はこの真下
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ちょうど、函館から北斗市方面へ国道228号線を走っていくと「矢不来」という地名掲示に行き当たります。「矢不来」という漢字を見て、何となく日本では無いどこか異国の響きを感じた人もいるかもしれません。実際に私が子どもの頃は、何て読むのだろう?日本語なのだろうか?などと思っていました。いつしかそれが「やふらい」と読むことを知り、中学で漢文を習うころに「矢来ズ」と漢文的にレ点を打って読めそうだと思ったものです。衝撃的だったのは、この「矢不来」がアイヌ語由来の地名だったことであり、それを知ったのは高校、いや大学の頃だったでしょうか。

矢不来川河口
矢不来川河口

矢不来は古くは「やげ内」「ヤギナイ」「ヤケナヱ」などと記載があり、もともとは矢不来川という小川のことを指していたようです。矢不来川は函館から国道228号線を松前方面に向かい矢不来掲示板のあるところ、ちょうど喫茶店のある手前にあります。道路の下を通っているため意識して見ないと全く気づきません。 雪解け水があるせいかなかなかの水量でしたが、現在河口には水がたまり舟揚げをするのも容易に思えます。この川の名前から矢不来村という村名がおこりましたが、茂辺地村の一部あるいは出郷として考えられていたようです。 矢不来掲示板を過ぎてややしばらくするとまた川がありますが、この川は下矢不来川というそうです。松前に近いほうを「下」といっているのでちょっと疑問が残りますが、それが現在の川名らしいです。

下矢不来川

『永田地名解』によるとヤンゲ・ナイ(陸揚場)と訳し、

舟ヨリ荷物を揚げる處、(中略)ヤゲナイ村トアリ今「ヤギナイ」ト云フハ「ヤンゲシリ」ヲ焼尻(ヤギシリ)ト云フガ如シ後人矢不来ト書キテ「ヤギナイ」ト訓スルハ僻事ナリ

『北海道蝦夷語地名解』

訳すると、『舟より荷物を揚げる處、(中略)ヤゲナイ村とありるが、今「ヤギナイ」というのは「ヤンゲシリ」を焼尻(ヤギシリ)というようなものであり、のちの人が矢不来と書いて「ヤギナイ」と読むのは誤りである』とあります。焼尻は留萌管内の焼尻島と思われ、本来ヤンゲシリというのが正しいのに今はヤギシリと呼ばれていることと同じであると言いたいのでしょう。(※焼尻島のアイヌ語源については他説あるのでここではこれ以上突っ込みません。)続いてこうも記されています。

好事者説ヲナシテ云フ下國氏アイヌト戦ヒシトキ「アイヌ」ノ矢来ラズ故ニ名クト此説固ヨリ取ルニ足ラズ

『北海道蝦夷語地名解』

『もの好きはその説で下國氏がアイヌと戦ったとき矢が来なかったのでこの名をつけたとあるがもとより取るに足らない説である。』

つまり、アイヌの矢が来ないなんて故事は俗説だ!と言いたいのでしょう。

山田秀三氏の『北海道の地名』を抜粋すると、

「永田地名解はヤンゲ ナイ(陸揚場)」と書いた。この川口の辺に舟を着けて、漁獲物とか積荷を揚げた処なのでこの名がついたのであろう。舟(丸木舟)そのものもyange(陸揚げ)した処であるが、その場合はたいていチポヤンゲ(chip-o-yange 舟を・そこで・揚げる)のような形が多い。」

『北海道の地名』

舟より荷物を揚げる、あるいは、舟そのものを揚げる処であったとあります。

矢不来から函館方面を望む

yanke-nay(ヤンケ・ナイ)陸に揚げる・川(沢)であるので何かを陸に揚げる川であるのは間違いないでしょう。 じゃ、矢不来を実際見てみると、アイヌ時代と違うのかもしれませんが、地形から、松前方面はこの土地から西方は茂辺地まで崖続きとなり容易に舟を揚げる場所がありません。また函館方面も富川近辺まで同様です。ちょうど一寸開けたこの土地で陸揚げしたと考えたくなります。別に川伝いでなくても浜沿いに舟を陸揚げするのも容易すぎるように思えるのですが、なぜ矢不来川に「ヤンケ・ナイ」という名前が残ったのでしょう。第一に考えられるのは、この矢不来川は陸揚げの目印でありこの名前が付いたのかもしれません。

矢不来川沿いの道
矢不来川に沿って道が続きます

第二に考えるのは、矢不来川を上流にいくと現在は「リサイクリーンほくと」への道があります。現在も、矢不来川沿いに上流へ上ることができます。昔は荒天時は海沿いを歩くのではなく、富川天満宮から丘に登り茂辺地まで主に海岸沿いではなく山の上を行き来してました。もしかしたら、 ただ舟や積荷を浜に揚げるだけでなく、この川を遡って陸揚げして山に登り松前や函館方面へ尾根伝いに荷物を運ぶことから、「ヤンケ・ナイ」という地名がついたのかもしれません。ただの舟揚げ場であれば山田氏の指摘するような地名が残ってもいいように思うのです。

矢不来天満宮
矢不来天満宮

伝説としての矢不来の由来を紹介しましょう。文和年間、約650年ほどの昔の話で、モペツ(茂別)の浜で漁をしていたアイヌたちが、波間に漂う赤松の木を見つけ引き上げると、その枝の間に二尺ほどの木像(菅原道真像)があったそうで、アイヌたちは神様として祀り、その地をカムイヤンケナイとしたそうです。それから時は過ぎてコシャマインの乱のとき、下國(安東)家政がアイヌの軍勢から守る茂別館には矢が届かなかったので「矢不来」の字を当てたそうです。

茂別館は道南12館ではコシャマインの攻撃を防いで陥落しなかった2つの館のうちの一つで、現在はその敷地内に菅原道真公を祭る矢不来天満宮があります。 積荷か舟か、はたまた神様を揚げたかはわかりませんが、はじめにヤンケナイという地名があり、東北訛りで「矢がけない」から矢不来の字を当てて、現在はヤフライと読むようになったと考えるのが学問的アプローチなのでしょうが、 永田氏のようにただの取るに足らずと考えるにはストーリーが上手く紡がれていて、 なかなかどうして、 楽しい想像に掻き立てられます。

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