大沼・小沼の地名由来

大沼国定公園 地名
大沼国定公園
この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

七飯町に大沼国定公園があります。その大沼公園は夏は遊覧船や釣り人で、冬はスノーモービルやワカサギ釣りで賑わいます。と言っても最近はめっきり訪れる人が少なくなったなあ、なんて思います。筆者の子供の頃は小さい針でフナやコイを釣る釣り堀ならぬ釣り台みたいなものがあったのですがね。その頃から比べると寂れた感は否めません。

わかさぎ釣り
わかさぎ釣りができる

さて、大沼はもともとアイヌ語由来でして、『角川地名大辞典』から引用すると、

(前略)湖名は「北海道の地名」によると、アイヌ語のポロトに由来し、大きい沼の意(後略)

竹内理三編『角川地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)254頁

とあります。

スポンサーリンク
現在の大沼
現在の大沼

小沼も同様に『角川地名大辞典』から引用すると、

(前略)「北海道の地名」によると、沼名はアイヌ語のポント(小さい沼の意)に由来し、これを和訳したのもの。(後略)

竹内理三編『角川地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)561頁

とあり、どうも山田秀三氏の『北海道の地名』から引用しているようです。

小沼には冬に白鳥が飛来する
小沼には冬に白鳥が飛来する

ではその『北海道の地名』はどう書いているかというと、

行政区画としては上磯郡七飯町であるが、川筋としては茅部郡の折戸川の流域である。アイヌ時代の名はポロ・ト(poro-to 大きい・沼)とポン・ト(pon-to 小さい・沼)であった。大小の沼が並んでいると、このように対照的に呼ぶ例は各地で見られる。

山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社、1984年)425頁
スポンサーリンク

と書いてあります。しかし、その山田氏の説は一般論として記載してますが、今の大沼・小沼かどうかどうもあやしい。旧図などを見ても「大沼」の記載はあっても今の小沼のところに「小沼」の記載が見当たりません。七飯町博物館のパンフ等を見ても今の大沼は間違いなく「大沼」とは言っていたようですが、どうも今の大沼・小沼を合わせて大沼の言っていたような感じがします。

松浦武四郎の『蝦夷日誌』には大沼湖畔を峠下方面から銚子をぐるっと回る記述がありますが、そこにも下記のように記されています。

小沼峠 この峠より小沼見ゆる也。故に号る也。是を近頃木間より沼の見ゆる故に木間峠と云等説を附たり。上り下りにて五、六丁斗也。(中略)下りて左の方に 小沼 此沼を小沼といえども、惣て小沼といへるものは大沼と駒ヶ岳の間に有るといへり。此沼は名もなき沼なりとかや。凡そ廻り一里半(二里)も有べきとぞ覚へける。此沼は岸より深くして鱒等は多きとかや。惣て此山中沼数七、八つも有とかや。皆廻りは一里より大きしと云伝ふ。(後略)

松浦弘「蝦夷日誌(抄)」『函館市史 史料編 第一巻』(第一印刷、1974年)200頁

大沼の北側をぐるりと廻って行った記述ですが、ざっくり意訳すると

小沼峠、この峠より沼が見える。故に名付けている。是を近頃は木間より沼が見えるので木間峠という説もある。上り下りで5・6丁ばかり。下りて左に小沼、この沼を小沼というけれど、すべて小沼と言えるものは大沼と駒ヶ岳の間にあると言える。この沼は名もなき沼とか。凡そ廻り一里半(二里)もあったと覚えている。この沼は岸より深く鱒など多いらしい。すべてこの山中の沼数は七・八つもあるらしい

スポンサーリンク

一里半だと周囲約6km、やはり大きさから現在の蓴菜沼がしっくりきます。

現在の小沼なら大沼から既に見えていますし、峠に入る手前の上の写真の白鳥がいる辺りは既に小沼ですのでこのような表現になりません。小沼峠すなわち日暮山の北側、今の道道43号線辺りを通って山越えをしたのち、蓴菜沼を左手に見たのではないでしょうか。そうすると頂上あたりで眼前に広がる木間から沼が見える記述も納得できます。つまり峠に登る前に左手に見える現在の小沼を武四郎は「小沼」として認識していないことになります。

武四郎の「東西蝦夷山川地理取調圖」には、現在の赤井川と合流した宿野辺川が大沼に注ぐところを、

ホントウフトつまりポン・トー・プト゚ pon-to-putu 小さい・沼・の口

とあり、それは上流の方である、 蓴菜沼やほかの無数の小沼から流れでる川と考えたから名付けられたのではないでしょうか。

↑宿野辺川が大沼に注ぐ付近

線路下で大沼小沼はつながっている
線路下で大沼小沼はつながっている

アイヌ語で表現されるポロ・トとポン・ト、道内には同地名が沢山ありますが、今の大沼公園には「大沼」「小沼」ありますけれども、「小沼」に関してアイヌ時代に本当にポン・トと言っていた可能性は低い考えられます。もともと大沼と小沼は現在でも線路の下でつながっていますしね。

一つの沼として認識していた可能性が高いと思われます。

また、今の大沼と小沼をポロ・ト、あるいはポン・トと表現したなら、あれだけ大きい蓴菜沼にもアイヌ語地名が残ってしかるべきと思います。例えば、ポン・ポロ・ト(小さい・大沼)とか。

結論として、アイヌ時代は大沼をポロ・トと表現したかもしれませんが、今の小沼をポン・トと表現したとは思われず、蓴菜沼や大沼と駒ヶ岳にある無数の沼をポン・トと表現していたのかもしれません。大きさから言っても対比できそうなのは蓴菜沼であると思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました