立待岬は「たちまちざき」とも言われ、函館の南端で函館山の東にある岬です。観光名所としても有名なので道外の方もよく知っている地名かもしれません。近くには石川啄木一族の墓もあります。
これはおそらく俗説でしょうが、筆者が子供のころには身を投げ入れるのに立って待つから立待岬なんだなどという話を聞いたことがありました。真偽のほどはわかりませんが、戦時中の玉砕の風景が被っているような気がします。
実際そういうことがあったかはわかりませんが、おそらく「立待」というイメージから連想されたのでしょう。
では、立待岬の由来は何かというと、『北海道蝦夷語地名解』では、ピウシ・立待の説明として、
和人立待ト云フ岩磯ノ上ニ立チ魚ノ来ルヲ待チ漁槍ヲ以テ突テ捕ル處ヲ云フ此地名ハ古宇郡室蘭郡等處々ニアリ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)174頁
漁槍すなわち、ヤスなどを持って魚を待って突くところであると説明しています。
ところが、この辺は先学も指摘しているのですが、「ピウシ」に立待なんて意味を見出すことはできないので、これは永田氏がピウシのアイヌ語訳ではなく場所の説明を書いてしまったと考えられています。
石崎川のところでも取り上げましたが、
pi-us-i(ピ・ウㇱ・イ)でピウシ、あるいはpit-us-i(ピッ・ウㇱ・イ)でピツシやピト゚シだったかもしれません。「石・多い・所」という意味になります。
実際、立待岬から眼下に見下ろすといくつもの石があり、アイヌ語のピウシがしっくりくると思います。何故、永田氏は地名の意味と説明を混同してしまったのでしょうか・・・。
立待岬の地名掲示板を見ると
この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せるところ、すなわち、ここで魚を獲ろうと立って待つ)に因むという。
立待岬地名掲示板
永田氏の場所の説明らしきアイヌ語が出てきました。アイヌ語でヨコウシは yoko-us-i ねらう・いつもする・所と思われます。yokoには弓や槍をもって獲物が出てくるのを待ち構えるという意味があります。上川郡美瑛町に横牛という地名がありますが、まさにこの意味になります。このヨコウシ地名が道内各地にあるので、永田氏はそのつもりで書いて説明してしまったのでしょうか。『北海道蝦夷語地名解』の他地域にある「ヨコウシ」や「ヨコウシペッ」にほとんど同じ説明が書いていますので間違いなさそうです。
ヨコウシはその場所でする行為、ピウシはその場所の風景でしたが、現在も残る立待岬の状況からもこの二つはアイヌ語地名的にすんなり理解できます。地名由来はそのどちらか、あるいは両方であったかも知れません。永田氏は二つの語と意味を取り違えて収載してしまったのでしょう。
さて、もっと調べていくと更科源蔵氏の著書に行き当たりました。その中で立待岬は、
(前略) 実はアイヌの人達がヤスを持って魚の来るのを待っていたところで、ヨコ・ウシ(待伏せする)といったのを訳して立待としたが、ここをアイヌ達はピ・ウシともいったところであるともいう。ピ・ウシで石の多いところという意味で、立待にはならない。函館山を臥牛山というのは、アイヌ語のヨコ・ウシに横牛の文字を当て、更に臥牛としたものと思われる。
更科源蔵『アイヌ語地名解 更科源蔵著著作集Ⅵ』(みやま書房 、1982年)3頁
なんだかパズルのようにあった周辺地名を一文にまとめてしまいましたという感じです。(笑)
大森浜方面から函館山をみると、牛が寝そべっているように見えるから臥牛山と呼ぶと今まで聞いて育ちました。が、しかし、ここでまさかのアイヌ語由来説!ヨコウシ→横牛→臥牛山はいくらなんでも飛躍しすぎに思われます。(苦笑)
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