『北海道蝦夷語地名解』を歩くを企画して檜山郡を旅しています。旅の途中、江差の町を散策すると面白い地名が沢山あります。その地名をスルーするのは勿体無いので今回『北海道蝦夷語地名解』には書かれていない地名について考えていきたいと思います。
津花(つばな)
江差は岬の突端の津花と、その先にある鷗島で港を囲んでいる。津花という地名は他に道内、津軽半島にもあって、いずれも岬の処の名である。和名かアイヌ語か分からないが、アイヌ語だったらトゥパナ(tu-pana 尾根の・海の方)のような名ででもあったろうか。
山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社、1984年)440頁
山田氏は津花をtu-pana ト゚・パナ 峰(岬)・海に近い方 とアイヌ語を音訳したと考えたようです。下のグーグルマップには江差の津花付近です。開発されて分かりにくいですが、尾根の先端部分にあたります。
他に道内、津軽半島にもあると書かれていますが、山田氏が言う道内の他の「トゥパナ」は勉強不足で現在私の持っている資料では残念ながらどこかわかりません。また、津軽半島と書かれているのは下北半島の間違いではないかとも思います。(下北半島には大澗町と佐井町の堺に津鼻崎があります。)下のグーグルマップは佐井の津鼻崎です。
知里氏の『地名アイヌ語小辞典』にはtuを峰で考えるならsiーtu、岬ならetuと同義としています。『角川日本地名大辞典』には、
鼻のように突き出た岬というアイヌ語のエトを津鼻・津端と訳したことによるという。檜山沿岸各港にこの地名が残っており、一般的に港をさす地名である。
竹内理三編『角川日本地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)898頁
山田氏と書いている意味は概ね同じかもしれませんが、アイヌ語のetu エト゚ 鼻・岬を意訳して津鼻(端)としたというところに大きい違いがあります。檜山沿岸各港に残っていると書いているので津鼻(花・端)という地名があるかと探してみましたが見つけられません。※1 山田氏の「トゥパナ」と同様、やはり古図などにこの古地名があるのでしょうか。あるいは、文脈からetuが檜山沿岸の港に残っているということなのでしょうか。探しても檜山地区の港にごろごろあるわけではありませんし、百歩譲って道南にetu地名は存在しますが、「一般的に港をさす地名」なんてことは知里氏の『地名アイヌ語小辞典』を見ても書いてません。etuは人間の部位で言えば鼻、地形で言えば岬を指し示す言葉であって「一般的に港をさす地名」なんてどこから出てきたのでしょうか。推察するに、「津」の付く地名は日本語では「港」を指し示します。例えば「大津」や「焼津」が良い例でしょう。おそらくこの辞典の著者は、「津」という漢字の意味と「鼻」というアイヌ語の意味を合わせて書いたのではないでしょうか。そうすると、岬でもあるし、一般的には港を指す地名が出来上がってしまいます。もしこの推論通りならお粗末極まりないですが、今のところ他に考えようがありません。
※1 2019.9.1追記
乙部町の中心部に津花と呼ばれる地名があったようです。元町には津花濱中、津花、滝瀬には津花中坂という旧字名がありました。ちょうど二つの町の中間あたり、現在宮の森公園から濱にかけてでしょうか。確かに乙部港もあるのですが、一般的に港をさす地名とは言い難いのは変わりありません。
江差の津花と同じように尾根が海の方に張り出して、その浜の方にいくにしたがってなだらかになっていきます。岬というとどうしても海に面する部分が切り立っているイメージですが、ト゚・パナはなだらかに浜に尾根が下っていくような感じです。佐井の津鼻も同じようなイメージですね。他の津花ももう少し調べてみます。
茂尻(もしり)
現在は津花岬の外洋側の根もとの砂浜の部分が茂尻と呼ばれているが、アイヌ時代には鷗島がモシリ(moshir 島)と呼ばれ、その名がそれに近い陸岸部の名としても使われ、それが残ったのであろう。
山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社、1984年)440頁
mosir モシㇽはアイヌ語で島を指し示しますが、現在の発音がモシリになっていますので、三人称形のmosiriで彼の島かもしれません。現在の地名では鷗島ではなく津花岬の南側部分を指し示しています。地名の発生源を移動して島ではなく対岸部のところにその名前を残している形になっているので、江差の和人はモシリの意味をあまり考えて使っていなかったのかもしれません。あるいはモシリ地名を集めていくと「島」という意味以外に新たな発見があるのかもしれません。
大澗(おおま)
山田秀三氏の『北海道の地名』を開くと、
(前略)「おこない村」と記す。松浦図も同じ位置に「ヲコナイハマ」を書いた。これはオウコッナイ(o-u-kot-nai 川尻・互いに・くっつく・川)に違いない。(中略)南北に並んだ沢の河口が砂浜の処で、お互いに近寄った形で海に入っている。風雨の際に、時に合流したであろう地形がこの地名の特徴である。現在の地名は大澗であるが、老漁師を探して話を聞いたら「今大澗なんかいうが、昔はおこないの浜といった鰊場だよ。浜は今より広く、雨でも降るとニつの川がほんの僅かな間になっていた」という。(後略)
山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社、1984年)441頁
『角川地名大辞典』は奥内村の項として、
地名の由来は、アイヌ語で、2つの川の合流する所の意のオコナイによるという。
竹内理三編『角川地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年 )277頁
というわけで、大澗は昔、おこない浜であったのですが、時が過ぎ、現在は大澗と呼ばれ海岸線が整備されていて、昔の形は失われてしまっています。グーグルマップで上空から見てみると、
工事された道路脇の壁面から用水路のような小さな小川が二つ確認できますので、これがかつて o-u-kot-nay オ・ウ・コッ・ナイ 川尻・お互いに・くっついている・川 と言われていたものなのかもしれません。川尻と訳していますが、本来は「陰部」の意味があり、知里氏は、その著書『アイヌ語入門』の中で、川は海から来て山に行く人間同様の生き物としてアイヌは捉えていたとあり、川は生物であるから、当然生殖行為も営みます。それで、二つの川が合流しているのを「抱きあっている川」とか「陰部をお互いにつけている川→交尾している川」と表現されていたようです。この「おこない浜」の二つの川は、今では完全にコンクリートに固められて整備されていますので、残念ながらこの二つの川は二度とオウコッすることはないでしょう。
小黒部(おぐろっぺ)
地名の由来は、アイヌ語で座って水を飲む所という意のオクロッペによるとも、川に足を入れるとぬかる所の意のケペルペともされる(地名アイヌ語小辞典)が、原義は不明。
竹内理三編『角川日本地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年 )273頁
まず『角川日本地名大辞典』を調べてみましたが、なんともよくわかないアイヌ語説が並べられつつ原義不明と書かれてあり、ちょっと苦笑いです。
オクロッペは推察するに、o-ku-rok-ot-pe オ・ク・ロㇰ・オッ・ペ そこで・飲む・座る・いつもする・所であろうと思われます。この形でしたら、音はオクロコッペになりますし、otが無い場合で考えるとo-ku-rok-pe オ・ク・ロㇰ・ペで音はすっきりとしています。しかし、意味がすんなり腑に落ちません。座って水を飲む主体がわかりません。人間でしたらchi(我ら)とついても良さそうです。飲む主体は鹿や熊で水を求めて出てくる場所とも考えましたが、今度は「rok(座る)」という単語がしっくりきません。「rok」が含まれる斜里のオロンコ岩には「o-rok-ot そこに・座る・いつもする」意味が込められていますので、まさに大きな岩がいつもどっしりと座っている感じです。同じように何かが座って水を飲みこむような特徴的な地形があれば当てはまるかもしれません。しかし、もう失われたのかもしれませんが、探した限り見つけられません。語呂のいい単語を当てはめた感があります。
ケペルぺについては知里氏の『地名アイヌ語小辞典』にkeperpe ケぺㇽペ ①浅瀬 ②流れもせず水がよどんでいる所で、川底に足をいれるとブツブツぬかるような所。とありましたが、①の意味ならいざ知らず、②についてはそこまで淀んでいるか?という印象も受けます。まあ、アイヌ時代と状況は変わっているとは思いますが、 ケぺㇽペ →オグロッペにどうやれば変化するのかは想像もつきません。この二つを考えてみると、辞典著者が原義不明にするのも頷けます。(笑)
それでは小黒部はなんなのか?壮瞥町に久保内という地名があり鉄道の駅名にもなっています。アイヌ語でku-o-nay ク・オ・ナイで仕掛け弓・ある・沢です。久保内川は北から長流川に注ぎ込む比較的小さい沢で、小黒部川も厚沢部川に北から注ぎ込む形で地形的に似通っている感じがします。もしかしたら、このような地形に鹿などアイヌ人の生活と密接に関わる動物が現れるのかもしれません。なので、o-ku-o-pet オ・ク・オ・ペッ 川尻に・仕掛け弓・ある・川 と考えるのがいいような気がしますが・・・はてさて、後考を待ちます。