住三吉神社(すみよしじんじゃ)の謎~その名前の由来

住三吉神社 神社
住三吉神社
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函館山の陰、谷地頭電停から移動して一番海側の通りを函館山に向かって歩いていくと、住三吉神社が山の方に見えてきます。

この住三吉神社、春は桜が、秋はイチョウが美しい四季を感じられる風流ある神社です。

今回は晩秋の住三吉神社に訪れた写真を紹介します。

住三吉神社一の鳥居
住三吉神社一の鳥居

晩秋の神社には赤い枯れ葉もありましたが、黄色い銀杏の葉が一杯に敷き詰められて、黄金色で綺麗でした。亀田八幡宮の銀杏並木も綺麗ですが、ここにも秋の情緒あふれる風景があったんですね。

一の鳥居と社殿
一の鳥居と社殿

住吉神社は日本各地にありますが、

表記はほどんと「住吉神社」。

わざわざ「三」の字を入れているところがユニークです。なんで、「三」の字を入れたのか疑問に思ってしまいますよね。

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境内から坂下を望む
境内から坂下を望む

住吉神社の総本社と言えば、大阪府大阪市住吉区住吉にある住吉大社。摂津国一宮です。

上筒之男命(かみつつのおのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
底筒之男命(そこつつのおのみこと)

を祀る航海の神様です。その住吉三神にプラスし息長帯姫(おきながたらしひめ)、いわゆる神功皇后がセットで祀られています。

海上交通の神様は道南では意外に多くあって、以前紹介した矢越八幡宮なんかもそれですね。

ところが、この住三吉神社には、この4柱の他にも色々な神様が祀られていて、代表格に

大名持大神(おほなもちのおおかみ)
少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
三吉大神(みよしのおおかみ)

の3柱が祀られています。この辺で普通の「住吉神社」ではないなと想像できます。

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住三吉神社社殿
住三吉神社社殿

「函館市中央図書館デジタル資料館 1925年7月 函館市街全図 最新版」(※筆者赤丸印)を見ると、住吉社は現在の位置と比べて、もっと麓で海岸より現在の住吉漁港の近くにあることが分かります。

逆に今の住三吉神社には三吉神社が存在しています。

函館市中央図書館デジタル資料館 1925年7月 函館市街全図 最新版
函館市中央図書館デジタル資料館 1925年7月 函館市街全図 最新版
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函館の住吉町の町名由来は、位置的に旧住吉神社だったことがわかります。ちょうど漁港のある辺りで航海の安全、つまり漁に出て無事に帰って来れるように祈願した漁師たちが、祀っていたことは想像に難くありません。

では、三吉神社はと思い調べてみると、

全国三吉神社の総本宮「太平山三吉神社」という秋田県の神社に行き当たります。

三吉霊神は力の神、勝負の神、破邪顕正の神である。曲がった事が大嫌いで、力持ち。弱きを助け、邪悪のものをくじく神様である。
太平の城主藤原鶴寿丸三吉は郷人の面倒を良くみた名君であったが、他の豪族にねたまれ追い出されたため、世を捨てて太平山に篭り、太平山の神様即ち大己貴大神、少彦名神様を深く信仰し、修行せられて力を身につけ神様として祀られた郷土の神である。
霊験談は数多いが、明治元年戊辰役の際の霊験はあらたかであり、神さまの御神徳に感謝した秋田藩主佐竹侯より太平山を遥拝する雪見御殿、すなわち現在の里宮の地を奉賽されたのである。
以来、特に勝利成功、事業繁栄のお社として、地元はもとより、北海道、東北、関東などの遠方よりも熱烈なる信仰を持った崇敬者が訪れ、年々ご祈願の方々も多くなり現在に至っている。

太平山三吉神社総本宮ホームページ

という神様らしく、戊辰の役では奥羽鎮撫総督九條道孝卿が里宮に祈願したそうです。そういった経緯から、戊辰戦争の流れで北海道にももたらされた神様であったことでしょう。総本宮も山の中にあるようですので、勧請された場所的にはしっくりきますね。

では何故現在の「住三吉神社」となったのか?

その理由を北海道神社庁のホームページから引用すると、

創立年代未詳。口碑によれば、鎌倉時代とされている。安永年間に再建されている。享和、文化年間の箱館奉行、戸川筑前守安倫・羽太安芸守正養が外冦退散開彊綏北を祈願し、享和3年春に石灯籠を奉納した(昭和9年3月の大火災で破損し僅かに片影を留めている)。明治8年、村社に列せられ、同37年12月に社殿を改築した。昭和9年3月、大火の為に社殿が類焼し三吉神社跡地に仮殿を建立、三吉神社を合併合祀の上で神社跡地に移転、昭和10年5月11日、社名を住三吉神社と改称した。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神

北海道神社庁ホームページ

つまり、昭和9年の函館大火で函館の南側、大森浜周辺は焼け野原となってしまいました。もちろん、旧住吉神社や三吉神社も同様でした。

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イチョウの葉に埋もれる住三吉神社
イチョウの葉に埋もれる住三吉神社

その両社をニコイチにして三吉神社境内に再建したため、「住三吉神社(すみよしじんじゃ)」という日本でも珍しい表記が生まれたのでしょう。航海の神様と戊辰戦争で霊験あらたかな神様が一緒になるあたりが、函館の歴史の深さを証明していますね。

三吉神社の総本宮がある秋田藩(久保田藩)は、初め奥羽列藩同盟に加わって幕府軍側にいました。その後、仙台藩の使者を殺害し新政府軍に寝返ります。いくら勝負や勝利の神様とはいえ、三吉神社の三吉霊神は「曲がった事が大嫌いで、力持ち。弱きを助け、邪悪のものをくじく神様である。」と書かれています。直ぐ近くには榎本武揚らが建立した旧幕府軍を慰霊する碧血碑があり、住三吉神社の前身である三吉神社を誰がどんな気持ちで創建したのか、非常に興味を抱くところです。もし、戊辰戦争の結果広まったなら、見方によっては皮肉な感じがしますよね。

皆さまも春の桜の季節や、秋の銀杏の季節にふらりと立ち寄られてはいかがでしょうか。(‘ω’)

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