恵山は道南の最東端の地名であり、今では山や岬、町名としてその名前が残っています。恵山の地名のルーツを探っていくと、やはりアイヌ語に行きつくのですが、『北海道蝦夷語地名解』には岬と山について恵山の意味が二つ書いてあります。
まずはエサン、岬の説明として、
元来岬ニ附シタル名ナリ和人稱スル處ノ惠山ハ噴火山ニシテ「イエサン」ナリ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)178頁
e-san エ・サン 頭が・浜へ出ている でアイヌ語で岬を意味しています。
イェサンの項にはどのように書いてあるかというと、噴火(山)の説明として、
「イエ」ハ浮石又ハ膿汁ナリ「サン」ハ下ル火ヲ噴キ浮石等ヲ飛バシタルニヨリ名ク和人惠山ト云フ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)178頁
とあり、噴火で軽石を浜へ噴出したことに由来していると書いています。つまりエサン(岬)とイエサン(山)と今使われている恵山は二つのルーツがあるのだと主張しているわけです。
上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』には、エサンの説明として、
夷語エシヤニなり。山のなだれと譯す。亦高山名山等をエシヤニといふ。
上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」(山田秀三監修、佐々木利和編『アイヌ語地名資料集成』草風館、1988年)44頁
エシヤニ、おそらくe-san-iで頭・浜へ出ている・者であると思います。山のなだれと訳している所がありますが、何がなだれてくるのかは書いていません。永田地名解では「イエ(軽石など)」がなだれてくると解釈しており、おそらく永田方正氏が上原熊次郎の説を踏襲しつつ詳細を詰めたことによるものかもしれません。
これらに関して山田秀三氏は、
(前略)古い秦檍麻呂蝦夷島奇観では恵山岳と岬を描いて「エシャニノボリ。訛語してエサンと云」、また岬の処には「エサン崎」と書いた。地名屋流に見ると、エシャニ(e-san-i)は「頭が・浜の方に出ている・処→岬」か、あるいはエサンを名詞として「その岬」と呼んだかで、つまり恵山岬のことである。
エシャニノボリは「esani-nupuri 恵山岬の(上の)・山」と解すべきではなかろうか。永田氏が山の処でイェ(軽石)としたのは後世のアイヌの説を聞いて書いたものらしいが、恵山岬の山と解した方が自然なようである。
山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社 1984年)427頁
その永田氏のイエが流れるというところを、山田秀三氏は後世のアイヌの説をまとめたものではないかと記しています。
考察するに、おそらく初めに今の恵山岬あるいは恵山の海に突き出た大部分のところをアイヌ人たちはe-san、もしくはe-san-iと呼んでいたことでしょう。e-sanという音に対して、和人が「恵山」という漢字を当ててしまったために「頭が・浜へ出ている=岬」という意味を越えて「山」という意味を含んでしまったのではないでしょうか。故に恵山が固有名詞化すると、「恵山」という単語がその上の山を指して「恵山」と呼ぶようになってしまったと考えられます。
恵山が固有名詞化すると、当然恵山の岬は恵山岬となります。こうなると日本語的に訳すれば「岬・岬」になってしまうのです。同じようなものは川の名前に多数見られ、久根別がクンネ・ペッで黒い・川ですが、今は久根別川なので日本語的には「黒い・川・川」となってしまっているのと一緒ではないでしょうか。
それでも、恵山の漢字を当てた人は精一杯知恵を絞った感じがします。恵みの山と書いて、佳字2字できっちり収める所なんかは、先人の知恵を垣間見てしまいます。
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