臼尻は函館市に合併された旧南茅部町の地名です。
臼尻村として昭和16年まで存在し、その後は南茅部町に統合されます。その臼尻という地名も遡ると江戸期にその名前を見ることができます。
臼尻という地名の由来を『角川日本地名大辞典』から紐解くと、
(前略)地名は、アイヌ語ウセイシリに由来し、ただの島、何もない島を意味する(蝦夷地名考里程記)とも、ウセシリに由来し、突出せる地を意味する(北海道蝦夷語地名解)ともいわれ、現在の臼尻弁天島付近の地名にちなんで名付けられたものと思われる。
竹内理三編『角川日本地名大辞典 1 北海道 上巻』(角川書店、1987年)177頁
上原地名解と永田地名解を取り上げています。
上原地名解、すなわち『蝦夷地名考里程記』ウスジリの項を見てみましょう。
夷語ウセイシリなり。只の嶋と譯す。ウセイとは只と申事。シリとハ地又は嶋等の訓にて此嶋差而用ゆる事なきゆへ字になすといふ。
上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」(山田秀三監修、佐々木利和編『アイヌ語地名資料集成』草風館、1988年)44頁
ざっくり意訳すると、
「アイヌ語でウセイシリである。ただの島と訳す。ウセイとはただと申す事。シリは地または島等の訓でこの島さして用いる事がないので字にするという。」
ウセイとありますが、上原地名考のウセイはウセ=useで「普通の」とかの意味で解釈できると思います。そこから只のという意味になっているのでしょう。只の島をこういう風にアイヌ人が地名として残すのはちょっと疑問が残ります。
地名として残るには何らかの特別あるいは特徴的な理由があるからです。
では、ウセではなくウセイだったら他にも意味があります。地名としてポピュラーなのはusew=useyでお湯という意味です。千島列島にも千島アイヌがいましたが、その中間の島は宇志知島(ウシシル島)です。
ウシシル島の由来も一説にはusey-sir ウセイ・シㇽで温泉・土地というアイヌ語であったと言われています。臼尻は残念ながら町内中心部に温泉も無いのでこの解釈も当てはまりません。
永田地名解も詳しく見ていきましょう。
永田地名解にはUse shiri ウセシリの項として、
斗出ノ地 臼尻村の原名ナリ
永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)179頁
とあります。斗出でおそらく突出とか出っ張ったとか意味があるのでしょう。現在の臼尻の地形を示すには良くわかりますが、アイヌ語としてウセの意味としてはちょっとわかりません。いつものようにアイヌ語訳ではなく、その土地の説明をしているような気がします。
臼尻に関して山田秀三氏は、ウㇲ・シリ(入江の・島)だったかもしれないと書いています。
us-sirでウㇱ・シㇽで入江、あるいは湾の・島と解釈したのでしょう。今、北大の北方生物圏フィールド科学センター水圏ステーション 臼尻水産実験所があるところ、丁度今の弁天岬は昔は弁天島だったと言います。
ちょうど臼尻出身の80歳を超えた老婦人が知り合いにいましたので話を聞くと、自分が子供の頃はもう繋がっていたが、昔は島たっだと聞いているとおっしゃっていました。どうもそうだったようです。
ただ、もし「島」という言葉をいうなら、やはりmo-sirでモシㇽという言葉で残っていた方がすっきりします。津軽海峡や噴火湾を隔てて、同じ文化圏のアイヌは同じ地名を残していることはよく知られているところです。
実際、有珠の原地名であるところを見てみると、
有珠湾(アイヌ語の入江)の近くにある現在はつながっている島はモシリ島です。
江差の鷗島もおそらくモシリだったので、同じ文化圏真っ只中のここだけ、モシリでないのはちょっと不可解です。
ちょっと北側、いまのお蕎麦屋さんの近くに「茂佐尻」という川が流れています。おそらくアイヌ語のmose-sir モセ(モサ)・シㇽが由来と思われ、いら草(ある)・土地という意味だと思います。その近辺には島はありませんので「土地」という意味でsirが使われていると思います。
そう考えると臼尻のus-sirのウㇲ・シㇽは島と言うよりは、入江の・土地という意味がしっくりくるかも知れません。
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