北海道のアイヌ語地名を調べるなら、やはりこの本は避けては通れません。当サイトでも『北海道蝦夷語地名解』を開きながら道南地名の旅をしていますが、それも永田氏が明治の昔にこの本を纏めていたおかげというわけです。
通称『永田地名解』と呼ばれますが、初版は明治24(1891)年の発行でその後、第4版まで発行されたようです。しかし、版が重ねるにしたがって誤植が多くなり、山田秀三氏もその点を指摘していました。※1
それで初版本の復刻をということで、冒頭の写真がそれにあたります。1984年に草風館から出版されました。永田方正氏の略伝をウィキペディアから引用すると、
伊予国西条藩士の宇高家の子として江戸で生まれた。永田吉平の養子となり永田姓となる。昌平坂学問所に学び、文久元年(1861年)西条藩主の侍講となる。明治に入ってからは英書翻訳を生業とした。主な訳書には『西洋教草』などがある。1881年(明治14年)7月に開拓使に採用され北海道に渡り、函館商船学校、函館師範学校の教諭を務めたほか、函館県の命により遊楽部(現在の八雲町)でアイヌ教育に取り組んだ。函館に在住の時、函館美以教会(現・日本基督教団函館教会)で山鹿元次郎より洗礼を受ける。1883年(明治16年)にはアイヌ語文法書『北海小文典』を著す。1886年より北海道庁の命を受けアイヌ語地名の調査に従事、1891年刊行した『北海道蝦夷語地名解』にその成果をまとめた。札幌農学校などでも教壇に立ったのち1909年に上京、東京高等女学校で国文学を教えた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とあり、わが道南ゆかりの人物であるということがわかります。以前紹介した知里真志保博士の『アイヌ語入門』でもっとも頁数をかけて批判された本ではありますが、※2
アイヌ語地名研究の基礎にあたることは誰もが認めるところだと思います。
永田氏がその中で述べているように、道南の亀田・上磯・松前・檜山四郡に関しては、調査開始時にはアイヌがすでに去ったあとで、その四郡の地名は北海道庁の旧記や東京図書館(現国立国会図書館)の古地図等に拠るものらしく、アイヌの発音を参考にして訳を下したようです。※3
アイヌ語地名に興味があってこの本を開く方は、やはり復刻された初版本を手にとるといいかもしれません。
※1 山田秀三 「賛辞」(永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』草風館、1984年)冒頭
※2 知里真志保『アイヌ語入門ーとくに地名研究者のためにー』(北海道出版企画センター、1956年) 73-116頁
※3 永田方正『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』(草風館、1984年)4頁
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