前回記事で亀田八幡宮に初詣に行ってきました。前から亀田八幡宮を取り上げる記事をいつ作ろうかと思っていましたが、今回初詣に行ったとき色々写真を撮ることが出来ましたので、アップしていこうと思います。初詣で人がいっぱいいて全景を撮ることが困難だったので、はじめの画像は夏に撮ったものです。(苦笑)
1964年に出来た現在の社殿です。旧社殿(現神輿殿)はこの社殿ができた後に今の場所に移築されたものです。現在の社殿も立派なものですが、今回は移築された旧社殿について取り上げます。
旧社殿の中の様子です。なかなか立派ですよね。中を覗くと古い扁額が二つ並んでいます。左は松前章廣が書して奉納したものになります。真ん中は亀田八幡宮の「宮」が少し小さいですよね。筆者の記憶では確か、偉い人(有栖川宮一品幟仁親王だったかなぁ)の真筆だったはずですが、「宮」の字を忘れて後で付け足したために小さくなっていると記憶しています。(鳥居の横の石には銘が掘ってあります) 間違っていたら誰か指摘してください。(苦笑)
神輿殿だけあって中にはお神輿がありました。せっかくなのでお祭り時期の写真も織り交ぜてしまいましょう。これが9月には下のようになります。
2012年11月には「箱館戦争降伏式之地」記念碑が有志によって建立されました(題字は榎本武揚の曾孫・榎本隆充氏の揮毫)。刀をモチーフにしているそうです。降伏式之地という名前を敢えて記念碑にすると、なにか勝者側に立った感じで今イチしっくりこないのですが、降伏した側の榎本武揚の子孫が揮毫してるそうなので、あまり突っ込まないでおきましょう。せめて和平とか終戦とかね・・・言葉を選びたいものです。
さて、旧社殿の建物に目を移すと真正面に飛竜の彫刻が見えます。頭部はなかなか細部まで凝っています。その下にはまた竜がいます。竜は水を司る神ですので、昔は亀田川が境内を流れていましたので竜神の加護を祈念して彫られたことは間違いないでしょう。
右と左の柱の上部には獅子と獏の彫刻が施されています。右側の獏、残念ながら鼻が折れてしまっています。獏と同じようなものに木鼻象があるのですが、見分け方が耳の大きさや足があるかです。東北の津軽地方の神社にも獏(木鼻象)と獅子がセットになった同じような木彫りが残されていますので、同一人物や同一流派によるものかもしれませんね。
これは左側の屋根飾りの部分できちんと残されていますが、右側の方は獏の彫刻のように破損していて、半分から折れて無くなっていました。社務所で保管していればいいのですが、失われていたら補修修理も大変になってきます。函館最古の建物と言われていますので、是非大切に保存していきたいものです。
最後に、旧社殿には箱館戦争の弾痕跡が今も残っています。一見するとわかりずらいですが、木の節穴とは別に明らかに人為的な穴が開いています。今度、時間があったら箱館戦争の記事も書いていきたいと思います。
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